東日本大震災から11日で15年。
福島第一原発の事故によって、戻って来られるようになるまで11年5カ月かかり、いまも8割以上が「期間困難区域」に指定されている福島県双葉町を兵動大樹さんが歩きました。
まず兵動さんはJR常磐線の双葉駅前を訪れました。
【兵動さん】「パッと見たところは、新しい建物が沢山あるキレイな町だなという感想です」
■原発事故で町全体が避難 戻れるようになるまで「11年5カ月」
福島県の沿岸部に位置する双葉町。町の南側には福島第一原発が位置しています。
15年前、原発事故で町全体が避難を余儀なくされ、戻って来られるようになるまで11年5カ月かかりました。
双葉駅の旧駅舎には、15年前の記憶を留めるものが。
【兵動さん】「時計が2:46で止まっていますね。震災があった時刻ですよね」
■目立つ「空き地」津波は来なかったが「11年間入れなかったので建物が傷み…」
兵動さんは町の復興を支える「ふたばプロジェクト」の復興支援員・片桐智之さんに出会い、町を案内してもらうことになりました。
兵動さん、町を歩き始めてすぐに、新しい建物や空き地になっている場所が多いことに気づき、片桐さんに「津波の被害ですか?」と聞きました。
【「ふたばプロジェクト」復興支援員・片桐さん】「家は震災後、戻ってくるにあたって建て直しています。ここの地域は、津波はきていなくて。
地震後、放射能の影響で、避難を余儀なくされて。(町に)11年間入れなかったので、建物がどうしても傷んでしまう。
解体という選択肢をとる人が多くて、このように空き地が多くなってしまっています」
■双葉町の人口は「震災前7000人以上」が「現在201人」
建物が解体されて空き地が目立つ双葉町の駅前。かつては住宅や商店が数多く立ち並んでいました。
双葉町には江戸時代に始まったとされる「ダルマ市」という町一番のお祭りがありました。交差点でダルマを南北に引き合う行事には、多くの住人が参加していました。
当時の写真を見て兵動さんは、「この時のにぎやかな感じ伝わりますよね。小さい子も一生懸命引っ張っているわ」と話します。
双葉町には震災前、7000人以上が住んでいましたが、現在は201人しか住んでいません。
(※2026年3月1日時点)
■当時の記憶を留める建物の解体決定「残した方が」「見たくない」それぞれ意見が
続いて案内されたのは、震災当日、ポンプ車が中からシャッターを突き破って出動した消防団の建物です。
【「ふたばプロジェクト」復興支援員・片桐さん】「地震で電動シャッターが、地震で停電をして開かないと。中から出て皆さんを避難誘導しないといけないということで、車で、車両で押して、そしてひん曲がったと」
建物の中に入った兵動さん。思わず「時間が止まっているというか、あの直後の、すごい空気感があります」と感想を語ります。
【兵動さん】「ほんまに緊急やったんでしょうね。『とりあえず車出すぞ』となって、シャッターがバーンとなってそのまま出て行ったと」
この建物は、隣に新しい建物ができたため、解体することが決まったといいます。
兵動さんが「残した方がいいという声もある?」と聞くと、片桐さんは地元にもさまざまな意見があることを明かしました。
【「ふたばプロジェクト」復興支援員・片桐さん】「あります。ただ『見たくない』という人も当然いらっしゃると思いますし…」
【兵動さん】「逆にこれを見たら、あの時思い出すから見たくない人もいらっしゃる…意見が割れるのか。どっちが良い悪いではないから…」
■かつて掲げられていた「原子力明るい未来のエネルギー」
歩いていても町は静かです。解体作業や建設工事の重機などの音は聞こえますが、人の声はなかなか聞こえてきません。
片桐さんは町の中心部へと案内してくれました。かつて「原子力明るい未来のエネルギー」という標語を記した看板があった場所です。
原子力発電をPRする標語は、当時の小学生が考案したもので、震災後に撤去されるまで大きく掲げられていました。
【「ふたばプロジェクト」復興支援員・片桐さん】「このころは“原子力発電が危険”という認識はあんまりなかったですし、安全神話もありました。
“安全で町を潤してくれるもの”というか。町の象徴みたいなものですよね。町の中心にドーンとあるので」
■いまも約85%が「帰還困難区域」で入ることができず
そして、兵動さんが見つけたのは、かつては町の中心だった旧町役場の建物。その前に広がっていたのは、双葉町の現実を突きつけるような光景でした。
旧役場前は除染作業で出た放射性物質などを保管する「中間貯蔵施設」となっていて、一般の人は入ることができなくなっています。
【兵動さん】「リアルやな…『この先帰還困難区域につき通行止め』。入られへんねや」
双葉町では、町内のおよそ85%の区域が、このような「帰還困難区域」に指定されていて、入ることができないのです。
いまも町の中には放射線量を知らせる線量計が設置されていたり、地震で崩れた建物の一部が放置されていたりと、原発事故からの15年という現実を伝えていました。
(関西テレビ「newsランナー」2026年3月10日放送)