俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。今回訪れたのは、大阪の中心地・梅田の地下街です。
「梅田地下街」と呼ばれるこの場所、その広さは甲子園球場のおよそ2倍。日本最大級の地下街とも言われています。
さまざまな駅や商業施設とつながっているため、その構造は複雑を極めます。一度迷い込んだら、なかなか目的地にたどり着けないことから「梅田ダンジョン」とも呼ばれているのです。
【大東駿介さん】「大阪梅田の地下街なんか迷い込んだら、出口も思っていたとこに出ない」
■迷路のような地下街を攻略せよ!泉の広場を目指す
今回の冒険は梅田地下街の「ディアモール大阪」から、ホワイティうめだの中にある「泉の広場」を目指します。
「泉の広場」は、梅田地下街のシンボルとして1970年に誕生し、時代とともに姿を変えながら愛され続けてきた場所です。多くの人が待ち合わせスポットとしても使っています。
梅田地下街の特徴のひとつは、JR、阪急、阪神、大阪メトロの7つの駅とつながっていること。
【大東駿介さん】「そうか、じゃあほんまに行き方分かってなかったら、駅すらもわからへんようになんねんや」
地図を見ても複雑で、何本もの道が入り組んでいます。大東さんが現在いるディアモール大阪は、地上で言うとJR大阪駅の南側、大阪駅前ビルやヒルトン大阪がある場所。
■梅田ダンジョンあるある『確信はなくても信じて進む』
さっそく通行人の方に道を尋ねてみました。
【大東駿介さん】「どちらに行かれるんですか?」
【通行人】「阪神百貨店。そう思うだけで歩いてる」
【大東駿介さん】「梅田地下街はややこしいですか?」
【通行人】「そうですね」
この通行人の目的地は阪神百貨店に行きたいと思っているものの、自分たちが歩いている方向に「阪神百貨店があるか確信はない」ということです。
【大東駿介さん】「泉の広場っていう所探してるんですよ」
【通行人】「阪神まで行って、阪急過ぎて、向こう違うかな」
まずは阪神百貨店を目指して歩きます。
【大東駿介さん】「地下街ややこしいですよね」
【通行人】「この辺(ディアモール大阪)は最初はなかった。向こうの地下街は元々あった」
この通行人の方は「若いころはよく来ていた」ということですが、攻略はしていないということでした。
阪神百貨店前まで無事に到着しましたが、大東さんが想像していた「泉の広場」ではく、ディアモール大阪の円形広場でした。
【通行人】「(泉の広場は)もっと向こう」
■銅像は泉の広場を向いている!?梅田ダンジョンに苦戦
大東さんは円形広場にある像を見て、「どう見ても“泉”を表している」と、独自の解釈を頼りに進みます。
【大東駿介さん】「この像が、どう見ても“泉”を表してると思う。自由の女神がフランスの方を向いている(と聞いたことがある)。この人(銅像)は、多分こっち(泉の広場)を目指してるんじゃないかと」
大東さんはディアモール大阪の円形広場から北へ進みますが…
【大東駿介さん】「これ(地上に)出てまうで!」
そのまままっすぐは進めません。
■ビジネスマンに人気だった「アリバイ横丁」
「泉の広場」を探して歩き回ること30分。なかなか見つかりません。
地下街には、ビジネスマンに人気だった「アリバイ横丁」と呼ばれる場所も、かつては存在していました。全国30以上の都道府県のお土産店が集まり、出張に行かなくても全国のお土産が買える便利なスポットだったのです。
【大東駿介さん】「『今日熊本から帰ってきたんや。大変やったわ。これ熊本土産や』っていうアリバイを作れる」
まだアンテナショップなどがなかった昭和20年代から全国各地のお土産を集めて販売していた「アリバイ横丁」。梅田地下街の名所として長年親しまれましたが、阪神百貨店の建て替えに伴って、2014年にその歴史に幕を閉じました。
■梅田ダンジョンあるある『昼飲みの聖地でついついハシゴ酒』
引き続き大東さんは「泉の広場」を目指します。
様々なジャンルの店が集まる梅田地下街。訪れる目的も様々で、こんな人も。
【通行人】「昼飲みしてて」
【大東駿介さん】「昼飲みしてた?どちらで飲まれてたんですか?」
【通行人】「NOMOKA(ノモカ)」
NOMOKAは2019年にホワイティうめだにオープンした17の飲食店が集まるバル街です。
【大東駿介さん】「結構飲み歩いている?」
【通行人】「KITTE、バルチカはよく行くけど、初めてホワイティうめだに進出して、4軒行ってきました」
【大東駿介さん】「4軒?」
昼飲みの聖地になっていて、ついついハシゴ酒をしてしまうのが、梅田ダンジョンあるあるなのかもしれません。
■梅田ダンジョンあるある『駅の位置関係を覚えると迷いにくい』
ついに有力情報を手に入れた大東さん。
【通行人】「ホワイティうめだに用事があって。“泉の広場”のところ」
【大東駿介さん】「僕も“泉の広場”に行きたいんです」
【通行人】「あそこをまっすぐです。まっすぐ行って、突き当たり」
【大東駿介さん】「“泉の広場”は、どういう場所なんですか?」
【通行人】「昔は噴水があって、水が流れていた。今は工事をして、なくなった。待ち合わせの場所に使われていた」
教えてもらった通り、ホワイティうめだをまっすぐ進んでいきます。
ホワイティ梅田の前身であるウメダ地下センターが誕生したのは、1963年。当時、大阪駅の周辺は急激に発展していったため、車の交通量が多く、渋滞も多発していました。
そこで、のべ50万人もの作業員を動員して、地下に建設されたのがウメダ地下センターだったのです。
■歩き回ること1時間、ついに泉の広場に到着
歩き回ること1時間、ついに泉の広場に到着しました。
【大東駿介さん】「ちょっと待って!…あ違うか。今日のロケのスタートの場所でしょ!って言おうかと思ったわ。何も学んでないやん」
■「街の人の話を聞いて“ココ”が見えてきた」
「地下街に分かりやすい待ち合わせ場所がほしい」という要望に応えて、ここには噴水があったそうですが、2019年に撤去され、現在は水の輝きをイメージした木のモニュメントがシンボルになっています。
【大東駿介さん】「お話を伺った人たちにとって、ココがどういう場所なのか、話を聞いて、“梅田地下街”が見えてきた」
■「梅田ダンジョン」が複雑になったのは線路のせい?
なぜ梅田の地下街はこれほど複雑な構造になってしまったのでしょうか。
この地下街が開業した当時から60年以上愛される名店「きしめん あまの」を訪問し、話を伺いました。
その発端は、大阪駅の線路が東西南北に対して斜めに作られたことにありました。初代大阪駅が開業した1874年、まだ梅田周辺は田んぼなど整備されていない土地でした。そこで街から駅へより短距離で線路をつなぐため、東西南北に対して斜めに線路が作られてしまったのです。
徐々に街が区画整理されていく中、大阪駅が斜めに傾いていることで梅田の道路もいびつな交差をするようになりました。そんな地上の道路に合わせて作られた地下街も同じく複雑な構造になっていったと言われています。
【大東駿介さん】「俺なりの攻略法見つけました。攻略しなくていい。梅田地下街行ったらなんかあるやろ。誰かにお土産買いたいとか、おいしいもん食べたい。迷うことが1個おもしろいもんを発見する材料かもしれないですね」
「迷うことも梅田地下街の楽しみ方の一つ」という新たな視点が見つかった今回の「発見!てくてく学」。
皆さんも梅田を訪れた際は、地下街の迷路を楽しんでみてはいかがでしょうか。
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2026年2月5日放送)