死刑執行でも事件は終わらない~松本サリン事件取材を振り返る~

青木良樹
カテゴリ:国内

  • 松本サリン事件発生で、疑惑の目は近くに住む会社員河野義行さんへ
  • 科学的に検証する為、有毒物質の専門家と共に河野さん宅を取材
  • 見込み捜査をした警察も、犯人視報道をしたメディアも河野さんに謝罪

オウム真理教の死刑囚6人の死刑が執行された。

これで今月6日に執行された麻原こと松本元死刑囚を含めて13人の死刑が執行され、一連のオウム真理教事件の死刑囚の死刑執行を終えたことになった。

地下鉄サリン事件や松本元死刑囚の逮捕から23年の時を経て、首謀者の松本元死刑囚や事件を指揮、サリンを製造した教団幹部、実行犯が法の裁きを受けた。

連日報道した“松本サリン事件”の謎

私がオウム真理教と関わることになったのは後にオウムの犯行と分かったことだが、1994年(平成6年)の松本サリン事件だった。
長野県松本市の閑静な住宅街で静まり返った夜に突如、周辺住民が苦しみを訴え、病院に搬送され、8人が命を落とした。

その後、有毒神経ガス「サリン」による犯行と分かり、多くの人が初めてその名を聞くことになったこの殺人ガスをいったい誰がどのようにして入手し、何のために地方都市の住宅街で噴霧したのか。多くの謎があった事件をメディアは連日、取り上げることになった。

当時、ニュース番組を担当していた私はまず東京で取材をはじめ、多くの人が知らなかったサリンとはいったい何なのかを探るために、有機合成化学の権威だった東京大学の森謙治教授を取材することになった。分かったことは毒性が極めて強く、死を免れたとしても後遺症が残る可能性が高いこと、専門的な知識や特殊な装置がなければ製造は難しいことなどだった。

現場付近に住む「会社員男性」浮上

事件発生の翌日には、現場付近に住み通報者でもあった会社員男性の自宅に警察の家宅捜索が入った。

河野義行さん―薬品の知識があり、事件当日に河野さん宅の庭の池から白い煙が発生したという目撃情報もあった。警察の取り調べとともに、テレビ、新聞も連日、取材を続けた。

河野さんの妻はサリン中毒で重体となり、ご自身もその影響で入院していた河野さんは退院後、記者会見を開いて事件に関与していないことを訴えたが、警察もメディアもその声に耳を傾けることはなく、逮捕のXデイが囁かれるまでになっていた。

妻澄子さんを看病する河野さん

「河野さんにじっくりと話を聞きたい」、取材者であれば誰もが思うであろうことだが、私も命を受けて松本に入り、接触を図ろうとした。警察は何かの証拠を掴んでいるのか、地元局とも協議したが分からなかった。

そこで実際に河野さん自身がサリンを製造して噴霧が可能だったのか、科学的に検証したいと河野さん側に申し入れた。国内でサリンなど有毒物質に最も詳しいと言える森教授とともに徹底検証するということで取材が許可された。

河野さんとの対面と検証取材

パジャマでインタビューに答える河野さん

すでに事件発生から2か月が過ぎていた。
8月の真夏の太陽が照りつける中、河野さん宅に入った。玄関先に現れた河野さんは中毒の影響でほとんど床についていると話しパジャマ姿で、表情からも疲労の色がにじんでいた。

インタビューではまず事件当時の状況を聞いた。奥さまが体調不良を訴えたため床に横にならせたこと、外の犬小屋にいる2匹の犬が激しく吠えだしたため、裏庭に様子を見に行くと泡を吹いて倒れていて、毒を盛られたと直感したということ。
その後、自宅から119番通報をして救急車を待つために玄関先までいったところで自身も視覚に異常を感じていったことなどを身振り手振りで、その時の動線をたどりながら詳細に説明してくれた。

そして森教授とともに河野さんがその時、持っていた薬品、聞き取りから得た薬品の知識でサリンが製造できるのか、河野さん宅の池の庭でサリンがもし発生したとしたら同様の被害は起きえたのか、当日の風向きや天候を加味しながら自宅や周辺で検証した。

そこで得られたのは少なくとも我々が確認した薬品や知識でサリンを製造することは不可能なこと、被害にあったアパートや住宅の立地状況からサリンは河野さん宅前の駐車場から池付近で発生したとみられること、空気より重いサリンガスは地を這うように河野さん宅の庭から縁の下に入りこみ、反対側にあった犬小屋を直撃し、塀や建物の壁を沿うように拡散して甚大な被害になったことが分かった。

森教授とサリンの流れを検証

インタビューの最後に河野さん自身が逮捕される可能性について聞いたところ、河野さんは「容疑者扱いの捜査では協力できない。疑惑を晴らして早く元の生活に戻りたい」と強い口調で語った。

取材後、私と森教授は最終列車で帰京し、翌日の夕方のニュースで詳細を伝えた。
以降も河野さん宅や周辺の木々の一部がサリンで枯れていたことから、同種の植物を使って教授の実験室でサリン発生時と同じ状況を再現して検証するなど事件について取材を続けた。

疑惑は晴れても・・・

翌年に山梨県上九一色村のオウム真理教の教団施設からサリンとみられる物質が検出されていたことが分かり、3月に地下鉄サリン事件が発生、上九一色村の施設が捜索され、5月には松本元死刑囚が逮捕された。
逮捕された幹部の供述などから松本サリン事件はオウム真理教の犯行と分かった。

当時、勢力拡大を図っていた教団が松本支部建設をめぐって住民と対立し法廷闘争となり、不利な判決をおそれて現場近くにあった裁判官官舎を狙ったものだった。

河野さんへの容疑は晴れ、警察は見込み捜査を認め当時の国家公安委員長が河野さんに謝罪をした。またマスコミ各社も弊社を含めて、犯人視報道について謝罪をして検証を行った。

松本サリン事件から24年、河野さんは今も全国で講演活動を行っていて、当時の警察の取り調べや報道の状況を伝え、あるべき捜査やメディアの在り方を訴えている。

今年5月、河野さんにインタビューする機会があった。河野さんは教団の死刑囚4人と面会し、事件について謝罪した死刑囚もいたという。
「私にとっては事件をおこしたのはオウム真理教。死刑の執行を受ければその人たちは罪を償ったということ。その家族に辛い思いをさせないでほしい」
「警察もメディアも状況は変わってきているが、プロの仕事をしてほしい」

2018年5月 河野さんにインタビュー

河野さんは最愛の奥さまを亡くされた。
一連のオウム真理教の事件では29人が死亡、6500人以上が負傷し、今も多くの人たちがサリンの後遺症や心の傷に苦しんでいる。
また教団から派生した団体は今も活動を続け、以前の教義を掲げているところもある。

死刑が執行されても事件は決して終わっていないし、むしろこれを伝え続けていくことが大切だと思っている。

(執筆:フジテレビ 社会部長 青木良樹)

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