死刑が執行されたオウム真理教の松本智津夫元死刑囚。
その四女が去年11月、両親が相続人とならないよう申し立てを行い、申し立てが認められたとして会見を行っていた。
四女の行った会見から見えてきた"家族関係"とは…。

以下、松本元死刑囚の四女の記者会見(2017年11月21日)での発言

「一度もお父さんと呼んだことがない」


理解していただきたいのは、私が家族や教団とは離れて生活している人間だということです。
2006年1月より家族の元を離れ、2007年秋ごろ信仰とも完全に決別し、それからは社会で生きてきました。
事件が起きて、両親をはじめ信者が逮捕されたのは、私が5歳か6歳の時のことでした。

私は2~3歳の時から窓もない倉庫のような一人部屋で生活していました。
弟が生まれると、母から「ここにはもうあなたの居場所はない」と追い出されたのです。

父親のことを、私は今も昔も父親とは思えません。
私が生まれた時、父はすでに教祖であり、グルでした。
私は一度も直接「お父さん」と呼んだことはありません。最初から尊師でした。 

やせ細り、死にそうに…幼少期の生活は

殺生食がだめなので食事は大豆や卵、野菜を切るのも基本的にはだめなのでミックスベジタブルなど冷凍食品ばかりでした。
破片入りのオムレツを食べさせられたり、真冬に薄着で外に何時間も立たされたり、 何度か父の命令で死にそうになったことがあります。 

 

 
 
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ヘッドギアを24時間かぶらせられ、 食事は毎日、卵のおかゆだけだったこともあります。
身長が伸びなくなり、肋骨の内側に手が入るほど痩せたこともありました。

テレビは禁止で、父のビデオテープが24時間流されていました。
熱湯風呂にも7歳の頃から入らされました。
年齢が上がるにつれて温度や時間が増やされます。
出ようとしたら押さえつけられて意識がなくなったこともありました。
私も熱湯風呂で命を落としていても不思議はなかったのです。

逆らったら殺される恐怖もあったので、16年間、戦場にいるかのような緊張が続きました。
教祖の子どもでさえ、悪い環境で育ったのです。

「育ててもらった恩はない」両親への思い

私が14歳の時に父の死刑判決が出ました。
親子関係を築ける希望がなかったので、(どんな親子関係を築きたかったかなど)思ったことはありません。

母については、幼い頃に育児放棄やひどい言葉を受けてはいましたが、出所してくるまでは、母が親らしいことをしてくれることをすごく希望のように思っていました。
逮捕時に思い出が美化されたこともあり、「今は辛いけど 母が帰ってきたら違うはずだ」と思いました。

しかし、母は帰ってきてからも離婚もせず、教団の環境の中で私を育て続けました。
それだけはやめてくれていたら、母のことを親として認めていたかもしれません。 

産んでもらった恩はあるけれども、育ててもらった恩はありません。
産むだけが親ではない。 生みの親ではありますが、親として心に思い浮かべることはありません。

死刑執行については、父の罪の重さを考えると、 死刑執行以外に責任を取る方法が無いと思うので当然だと思うし、 執行されるべきだと思っています。

 
 

問題がある親との縁を切れる制度を…

今の日本では親との縁をなくす制度がないので、現行法においてはできることはしましたが、普通に生きていくにはまだ障害が残っています。

戸籍で家族とつながっていることと、親の記載があることです。
結婚や出産などができません。気持ちの問題もありますが現実問題もあります。

著しく問題がある親との縁を切れる制度があったほうが良いと私は思います。 
父が首謀した一連のオウム事件の被害者の方や、 ご遺族の方には常に心より申し訳なく思っています。
オウムの後継団体には、一連のオウム事件の被害者の方やご遺族の方に誠意をもって謝罪と賠償をしてもらいたいです。

社会の不安をなくすために早く解散してほしいと思います。 

"オウム事件"を知らない若者世代が信者に

時の流れとして、事件が風化していくことは仕方がない部分もあります。
ただ、事件の前からオウムは嘘が多かった。
今も多分、事件のことを疑問に思う人がいても、 「それは過去のことで今は変わったよ」と誘われるのだろうなと思います。

オウムの嘘つき体質、性的なことや暴力で支配する体質も変わっていないので、 後継団体が言っていることを鵜呑みにしないで、
自分で調べて考えてほしいと思います。 


 

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