3月11日午後2時46分。
あの大地震からきょうで15年を迎えました。

東日本大震災の地震や津波で亡くなった人は1万5901人。
震災に関連した死者は3810人。

そして、今も行方不明となっている人は2519人に上ります。

未曽有の災害への悲しみや苦しみは消えることなく、人々はそれぞれの思いを胸に祈りを捧げていました。

穏やかな天候の中、迎えた夜明け。

ひとけのほとんどない朝。
福島・双葉町にも、朝日とともに鳥のさえずりが響き渡ります。

しかし、福島第一原発のある双葉町は、15年がたった今ですら町の面積の85%が帰還困難区域のまま。

穏やかな波、そしてオレンジ色に染まる水平線。
仙台市の荒浜では、その光景のもと、人々が無言で手を合わせていました。

地元のランニングチーム:
15年って、長いようであっという間。あの時ってすごくつらかったけれども、でも多くの人にも助けてもらった。みんなとつながったそういう絆とか、そういうことも忘れちゃいけないな。この日ここに来るってそういうことだなって。忘れちゃいけないことを思い出させてくれる。

「見つかったのが4月8日。約1カ月近く分かんなかった。最後はね、自衛隊さんの方が全部流れものをひっくり返しながら捜してくれて…。日の出っていうのは太陽上がってくる、やっぱりそれだけ見ちゃえばすがすがしい気持ちになるけども、やっぱり犠牲になられる方がこういうのを見られなくなってしまう。それも瞬間的に」と話す神奈川県から来た男性は、この地区に住んでいたおいを津波で亡くしたといいます。

岩手・大槌町の高台に立つお寺。
家族とともに、16歳の高校生が墓参りに来ていました。

高校1年生(16):
きょうは震災で亡くなった自分の父を思って手を合わせてました。(当時)自分はまだ1歳ちょっとで。(Q.伝えたいことありますか?)自分は幼かったんで、元々父の記憶がなくて、父がいないのが当たり前みたいな感じだったんですけど。父に何か伝えられるとしたら、自分たちはここまで育ったし、元気にやっているから大丈夫だよって伝えたいです。

また、別の男性の母親は、震災当時、この寺に避難していたといいます。
それでも津波を逃れることはできませんでした。

「震災の当時の状況が蘇って何年たっても変わらない。心につまっているような」というやるせない思いは、15年たった今も変わらないといいます。

そして、今も続けられる行方不明者の捜索。
遠方からのボランティアや、震災後に移住した人など、様々な人が参加しています。

震災後に移住:
去年の年末も見つかってるので、なんか見つかればいいなと。これだけ人が集まってくれるっていうか、僕も移住者ですけど、ありがたいことですよね。

震源に最も近い宮城・石巻市にある津波復興祈念公園。
市内で犠牲となった3705人の名前が刻まれている慰霊碑の前には多くの人が。

被災当時、中学3年生だった息子を亡くした母親は「すごく優しくて努力家で、高校も決まってたし、私にはもったいないような子でした。どうせこの悲しみは死ぬまで(消すことは)無理なので、あっちに行った人たちに心配かけないように生きようと思って」と話します。

それぞれの思いを胸に秘め…。
11日、地震発生時刻の午後2時46分を迎えました。

高市首相:
貴重な教訓を決して風化させることなく、後世に継承してまいります。

あの大震災から15年。
人々の思いの行き先は…。

大槌町にいる男性は「見たとおり半分が空き地だからさ。それがいっぱいになってほしいなって。(Q.もっと人増えて活気を)そうだね。昔みたいにね」と語りました。

決して消えることのない悲しみの中にも、人々はふるさとの未来へ「希望」を持ち続けます。

FNN
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