8月でロシアによるウクライナ侵攻から1年半となる。この1年半、ロシアのプーチン大統領は自分の首を自分で絞め続けているといっても過言ではない。侵攻当初はロシア軍の優勢が大方の見方で、プーチン大統領もウクライナの首都キーウを短期間で掌握し、ゼレンスキー政権を崩壊させ、親ロシアの傀儡政権を樹立するなどを頭の中で描いていたはずだ。

侵攻当初は“ロシア軍優勢”が大方の見方だったが…
侵攻当初は“ロシア軍優勢”が大方の見方だったが…
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しかし、時間の経過とともにロシア軍の劣勢が顕著になり、昨年秋の軍隊経験者などの予備兵を招集するための部分的動員令、ウクライナ東部南部4州の併合宣言などはそれを物語る。そして、プーチン大統領が長年NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大に不満を募らせるなか、侵攻によって安全保障上の懸念を強めたフィンランドとスウェーデンがNATO加盟を急ピッチで進め、今年4月にフィンランドが正式に加盟し、スウェーデンの加盟も今後発表される。ウクライナ侵攻が返ってNATOの“北方”拡大をさらに押し進めることになった現実は、プーチン大統領にとって大きな誤算となった。

武装反乱を起こした民間軍事会社ワグネルのトップ、プリゴジン氏
武装反乱を起こした民間軍事会社ワグネルのトップ、プリゴジン氏

さらに、追い討ちをかけることになったのが、ウクライナ戦争でロシア側の最前線で戦ってきた民間軍事会社ワグネルによるクーデター未遂である。これはワグネルの指導者プリゴジン氏の名前にちなんでプリゴジンの乱とも言われるが、6月末、ワグネルは突如首都モスクワに向けて進軍を開始した。その後、ワグネル部隊はロシア軍の戦闘機を撃ち落とすなどしながら進軍し、モスクワまで200キロのところまで迫ったが、その直後プリゴジン氏は突如進軍を停止すると発表した。プリゴジン氏はプーチン政権を崩壊させる意図はないと声明で発表したが、ショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長などへは戦闘中にネット上で弾薬が足りないと不満をぶちまけるなど、進軍の目的は両者を拘束することだったとも言われる。

極めて異例…南部ダゲスタンで“熱烈歓迎”

今日、ロシア軍はウクライナ東部に戦力を集中させているが、ロシア軍の劣勢と疲弊は明らかに進んでおり、ワグネルだけでなくロシア各地から若者らが徴兵され、戦闘の最前線に動員されているという。そして、ロシア軍の軍事的弱体化が進むだけでなく、プーチン大統領の政治的権威も劣化し続けている。クレムリンは6月末、プーチン大統領が南部ダゲスタン共和国を訪問し、フェンス越しに手を伸ばして集まった人々と握手を交わし、群衆に手を振って投げキスをするなど熱狂的な支持者と交流する動画を公開したが、これは一種のパフォーマンスとの見方が強い。

ロシア南部のダゲスタン共和国を訪れ、熱烈な歓迎を受けたプーチン大統領(6月28日)
ロシア南部のダゲスタン共和国を訪れ、熱烈な歓迎を受けたプーチン大統領(6月28日)

ダゲスタンはチェチェンやイングーシと同じくカフカス地域を構成し、ロシアでは圧倒的少数となるイスラム系住民が多く、第一次チェチェン紛争、第二次チェチェン紛争のように、長年プーチン政権から虐げられてきた。カフカス地域はロシアの火薬庫とも呼ばれ、反プーチンの声が最も強い地域であり、カフカスからも多くの住民がウクライナの戦場に動員されているとみられ、ダゲスタンで多くの支持者がプーチン大統領を歓迎するなどは極めて異常な光景となる。

そして、このダゲスタンのケースにも関連するが、ロシア軍の弱体化と疲弊、プーチン大統領の権威劣化などの風潮が強く漂ってくれば、カフカス地域から再び分離独立、また21世紀以降ではアルカイダやイスラム国などジハード系イスラム過激派と連帯する動きも顕著になり、クレムリンを攻撃対象とするテロの動きが活発化してくるシナリオも考えられる。

ロシア国内で相次いだテロ…イスラム過激派は息を吹き返すか

近年では殆どメディアで報道されないが、ロシア国内では長年カフカス地域を拠点とするイスラム過激派によるテロ活動が続いてきた。その中でも、アルカイダが掲げるサラフィジハード主義を共鳴するイスラム過激派にカフカス首長国(コーカサス首長国)があるが、カフカス首長国が関与したテロ事件としては、2009年11月特急列車ネフスキー爆破テロ、2010年3月モスクワ地下鉄爆破テロ、2011年1月ドモジェドボ国際空港爆破テロなどがある。特に、ドモジェドボ国際空港のテロ事件では、ナイジェリアやドイツ、タジキスタン、イタリア、イギリス、モルドバなど被害者の国籍が多様化し、ロシアという“ローカル”なものを標的としてきたカスカス首長国が、国際空港というより国際的な場所でテロを実行したことで、米国などもカフカス首長国をテロ組織に認定している。

ドモジェドボ国際空港の爆発では、被害者の国籍が多様化した(2011年1月)
ドモジェドボ国際空港の爆発では、被害者の国籍が多様化した(2011年1月)

また、カフカス首長国の当時の指導者ウマロフがインターネット上に2014年2月のソチ冬季五輪開催阻止に向けたテロを呼び掛ける動画を公開したが、ロシア南部ボルゴグラードでは2013年10月(路線バスで自爆テロ、6人死亡)、12月(鉄道駅で自爆テロ 16人死亡)、12月(トロリーバスで自爆テロ、14人死亡)、それぞれテロ事件が発生した。幸いにもソチ五輪でテロ事件が起きなかったが、当時クレムリンはテロの脅威を深刻に捉え、厳重なテロ対策を徹底していた。五輪直前の2014年2月上旬、欧米各国の情報機関も、ロシアのソチ冬季五輪期間中のテロの脅威が非常に高く、カフカス首長国が最大の脅威とする見方を示していた。

ロシア治安当局も、こういったイスラム過激派へ厳しい姿勢を貫いてきた。ロシア連邦保安庁の特殊部隊は2015年8月、ダゲスタン共和国でカフカス首長国のアジトを急襲し、同組織のリーダーを含む4人を殺害した。また、同年11月には、北カフカス地方のカバルジノ・バルカル共和国の首都ナリチク近郊で、カフカス首長国の中でイスラム国に忠誠を誓う武装勢力のメンバー11人を殺害した。カフカス首長国は2015年4月にイスラム国へ忠誠を宣言し、ロシアからイスラム国が活動するシリア・イラクへ渡った者は2000人を超えたというが、2016年3月、イスラム国カフカス州を名乗るグループは、ロシア国内でイスラム国支持者に対して一匹狼型の自発的なテロ攻撃を実行するよう呼び掛ける声明を出した。

ロシア国内では、2017年4月のサンクトペテルブルク地下鉄自爆テロ事件(14人が死亡、50人あまりが負傷)以降、大規模なテロ事件は起こっていないが、イスラム国支持者による単独的な事件、ロシア当局による摘発は断続的に続いている。

ウクライナ侵攻以降、プーチン大統領も世界のメディアもその問題に集中し、この問題がクローズアップされることはない。しかし、この問題は決して終わっていない。もっと言えば、カフカス首長国やイスラム国カフカス州を名乗る組織とそのメンバー、それに共鳴する個人たちは、ロシア軍が弱体化し、プーチン大統領が劣勢に立たされるという状況を都合良く捉えているだろう。今日、こういったテロの問題は深刻化していないが、テロ組織が好むような環境はむしろ到来しているようにも捉えられる。

【執筆:和田大樹】

和田大樹
和田大樹

株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO/一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事/株式会社ノンマドファクトリー 社外顧問/清和大学講師(非常勤)/岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。
研究分野は、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者として安全保障的な視点からの研究・教育に従事する傍ら、実務家として、海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)に従事。国際テロリズム論を専門にし、アルカイダやイスラム国などのイスラム過激派、白人至上主義者などのテロ研究を行い、テロ研究ではこれまでに内閣情報調査室や防衛省、警察庁などで助言や講演などを行う。所属学会に国際安全保障学会、日本防衛学会、防衛法学会など。
詳しい研究プロフィルはこちら https://researchmap.jp/daiju0415