沖縄戦の強制集団死いわゆる集団自決を巡る歴史教科書の検定問題で、2007年の県民大会実現に尽力した玉寄哲永さんが12月8日、亡くなりました。91歳でした。
玉寄さん突き動かしてきた思いとは。
6月 弟の名前が彫られた平和の礎に佇む玉寄さん:
祐ちゃん。久しぶりだね。元気だよ
沖縄戦当時10歳だった玉寄哲永さん。日本軍による住民の壕の追い出しにもあいながら戦場を逃げ惑い、3歳の弟、祐祺ちゃんを失いました。
6月2日 玉寄さん:
白い布を取ると静かに寝ているような感じだった。絶対に戦争をさせてはいけません
沖子連、沖縄県子ども会育成連絡協議会の会長を34年務め、自身の沖縄戦の体験を子どもたちに伝えてきた玉寄さん。
ひめゆりの塔の説明を巡る国会議員の「歴史の書き換え」発言などこれまでの平和教育を否定する動きを見過ごすことはできませんでした。
5月 玉寄哲永さん:
私はあの紙面を見た時にまた始まったか。教科書で文科省自体、国自体が歴史をいじったように、教科書問題と同じ根っこに立っているんです
沖縄戦の実相を歪めてはならない。
復帰後最大となった県民大会が開かれた2007年9月29日。
沖縄戦で起きた住民の強制集団死、いわゆる集団自決を巡って日本軍が関与したという記述を歴史の教科書から削除した文部科学省の検定意見の撤回を求めたのです。
副実行委員長として、超党派での大会実現に奔走したのが玉寄さんでした。
県民大会の壇上に立つ玉寄哲永さん:
あの事件の実相は、軸足が政権が変わるたびにあちらに揺れ、こちらに揺れしてしまいます。いまこそ私どもはしっかりと地に62年前の実態を強く打ちつけようではありませんか
歴史は醜くてもいいから真実を知りたい。学びたい。若者の言葉と、弟に誓った平和を伝える責任を胸に行動してきた玉寄哲永さん。
12月8日、那覇市内の病院で亡くなりました。91歳でした。
琉球大学 山口剛史教授:
もう少し、一緒にできるのかなと思っていたので本当にびっくりした
琉球大学の山口剛史教授は玉寄さんと共に9.29県民大会決議を実現させる会の活動を続けてきました。
琉球大学 山口剛史教授:
(戦争)体験者として運動の前面に立つという、本当に貴重な方だった。でも気さくで物腰の柔らかい。怒っていることには怒っているという。本当に足元でできることをずっとやって来て。謙虚に、地道にやり続けた姿、改めて見習わないといけない。一緒に走りながらバトンを渡されているようなかたちだと思う
2025年6月2日玉寄哲永さん:
あなたが健在だったらいい話し相手だったのにな
玉寄さんはいま弟の祐祺ちゃんと80年ぶりの再会を果たしているのかもしれません。
玉寄哲永さん:
悲しみを乗り越えて平和を願い続けることが私の役割です
葬儀は12月10日に親族のみで執り行われた。「9.29県民大会決議を実現させる会」は後日、お別れの会を開く予定。