家族の記憶とのれんを守り続けた店主の決断

宮城県石巻市で半世紀以上に渡って愛されてきたラーメン店が、2025年12月30日で閉店する。
赤いのれんをくぐれば、湯気とラーメンの香りが迎えてくれる。石巻の風景の一部として当たり前にそこにあった店が、終わりを迎えようとしている。
52年間 町の風景としてたたずんだ店
店があるのは石巻市大街道東。国道沿いにたたずむ、赤いのれんが目立つ年季の入った建物。
店名は「金華山ラーメン」。1973年の創業から52年、この場所で変わらずのれんを掲げてきた。
午前9時半。店主の阿部繁雄さんが、いつものように店に姿を見せる。ひとりで淡々と仕込みを進める姿は、毎朝のルーティーンだった。
阿部繁雄さん:
時間に追われ、追われ、追われ…
手際よく包丁を動かし、ネギを刻む姿には、積み重ねてきた年月がにじむ。
常連たちの心に残る“変わらぬ一杯”

午前11時半。のれんを掲げると、すぐに客が入ってくる。
「最初に来たのは10年以上前。閉店と聞いて本当に寂しい」
「高校時代から通っていた。安定の味。なくなるなんて考えられない」
看板メニューは「ネギみそチャーシュー」。
濃厚な自家製みそ、手打ち麺、香ばしいチャーシュー。
すべてが阿部さんの手作り。流行を追わず“いつもの味”を貫いてきた。

麺は、創業当時から使い続けてきた製麺機で作っている。
阿部繁雄さん:
現役で動いている、彼は。彼女なのか分からないけど(笑)。でも、これも処分する。
愛着をにじませながら、別れを口にする姿は、少し寂しげに見えた。
母の背中、父の笑顔 家族とともにあった店
金華山ラーメンは、もともと阿部さんの両親が切り盛りしていた。阿部さんは19年前、そののれんを引き継いだ。
父・順吉さんは認知症を患いながらも、今も1時間ほど店に立ち、常連との会話を楽しみながら、注文を聞くなど、できる手伝いをしている。
父・順吉さん:
お客さんと会うのが楽しみだよ。(阿部さんは)仕事もそれ以外も一生懸命やっているからそれでいいと思う。ただやめるのはちょっと寂しいな。
阿部さんの母・容子さんは、2013年、当時72歳で他界した。
スナックも経営していたという容子さん。2つの店で、せわしなく働く母の姿を見ていたことが、阿部さんが店を継いだ理由だ。
阿部繁雄さん:
おふくろを助けたいという思いが強かった。大好きだったから。
お店は楽しかったですよ。おふくろからも『こんなに仕事できると思わなかった』って言われた。
コロナ禍が突きつけた現実

半世紀にわたる家族の思いが詰まった店を畳むことにした最大の理由は、売り上げの低迷だ。とりわけコロナ禍で、客足が大きく減り、戻ることはなかった。
阿部繁雄さん:
やめようと思ったのは4、5年前くらいから。ずっと心のどこかで考えていた。
コロナ禍から、悩み続けてきたという阿部さん。
すぐに決断できなかった理由は…。
阿部繁雄さん:
意地でしょうね。悔しさが一番大きかった。なんでこんな理由で店を閉めなきゃならないんだって。
しかし、時が経つにつれて、経営は苦しさを増していった。
決心と安堵「ようやく自由になれる」
閉店を決めてからは、気持ちが楽になったという。
阿部繁雄さん:
ずっと苦しんでいた。ようやく自由になれる、しがらみから解放される。苦労しかしてこなかった。
言葉ににじむのは、安堵と未来への期待だ。

営業が終わった後、阿部さんは自宅で一人静かに晩酌をする。知り合いが作ってくれた“金華山ラーメン”と書かれたコップを、大切に使っている。
阿部繁雄さん:
ここから第二の人生。もうやりたいようにやっていきたい。常連さんには感謝しかない。
店への愛着と、両親への思い。そして苦しい経営事情。その間で悩み続けた阿部さんは、ついに閉店を決断した。
のれんの向こう側にあった“日常”

半世紀以上に渡る営業で、どれほどの人が訪れどれほどの思い出が育まれてきただろうか。
地域に根差し、家族とともに歩んだ「金華山ラーメン」は、2025年12月30日、その歴史に静かに幕を下ろす。
