約100年前、現在の山鹿市鹿本町に住んでいた少年が映画を見て、記憶を頼りに再現して描いたキネマ画『忠臣蔵』をこの番組で紹介しました。
これを活弁と生演奏でよみがえらせる上演会が12月14日に熊本市で開催されます。
【合志マンガミュージアム 安在 渉さん】
「いやぁ~すごいですね、これは。〈全然、現代とそんなに変わらない描き方をしているな〉と感じましたね」
『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』。時は元禄15年12月14日、大石内蔵助ら赤穂四十七士が吉良上野介の屋敷に討ち入り、亡き藩主の敵(かたき)を取る〈最も愛される時代劇〉です。
これは1926年に公開された当時の大スター尾上松之助・主演の無声映画『実録忠臣蔵』を見た芹川文彰(せりかわ・ぶんしょう)さんが15歳のときから3年かけてペン画で再現したものです。500コマ、180ページにも及びます。
登場人物のセリフは〈吹き出し〉などを使って表現。また、馬や人物が走る場面でもマンガのような手法でスピード感を出しています。
【合志マンガミュージアム 安在 渉さん】
「100年前の絵なのに、今も通じるマンガの技法が残っているというのは衝撃的でしたね」
このペン画集は「キネマ画『忠臣蔵』」と呼ばれています。合志マンガミュージアムは12月23日から展示会を開催。マンガの歴史を語る上での重要な資料と位置づけています。
時代劇や剣劇を研究する熊本県立大学の羽鳥 隆英(はとり・たかふさ)准教授は長年愛されている『忠臣蔵』ならではの作品と見ています。
【熊本県立大学 文学部 羽鳥 隆英 准教授】
「ファンの人も〈自分だったら、こんな『忠臣蔵』を作りたい〉〈撮りたい〉〈キャスティングしたい〉とか、夢として持っているわけですね。そういうものを絵を描く力のある人が自分の夢の『忠臣蔵』をベースになる物はありつつですが、〈自分の得意分野で表現したらどうなるんだろうか〉というような『忠臣蔵』の裾野の広さ、皆が知っているからこそ、何か〈自分なりの『忠臣蔵』を作ってみたい〉という気持ちですよね。それをよく表しているものなんじゃないかなと思います」
【上演会の様子】
去年12月、このキネマ画『忠臣蔵』がよみがえりました。同志社大学とおもちゃ映画ミュージアムが企画した上演会です。活動写真弁士の坂本頼光(さかもと・らいこう)さん、サイレント映画ピアニストの天宮遥(あまみや・はるか)さんが芹川文彰(せりかわ・ぶんしょう)さんの絵に命を吹き込みました。
そして、12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に再び熊本市で、このキネマ画『忠臣蔵』がよみがえります。
【上演会の様子】
【活動写真弁士 坂本 頼光さん】
「僕自身も(マンガ家の)水木しげる先生の大ファンで、子供の頃から絵を描いていたものですから、ものすごく感動しましたね。よくあれだけのボリューム、よくぞ克明にワンシーン、ワンシーンを覚えていて、それをペンで再生して、もう一回、自分の作品として描き表すことは、普通の人間ではできないですよね。絵に生涯を傾けた少年の残したキネマ画に語りをつけさせていただきます。これをスクリーンに堂々、映しての説明です。語りは不肖・坂本。そして音楽はピアノ演奏。天宮遥さんの共演でお届けします。ぜひ一人でも多くのご来場お待ちしております。討ち入り当日です。よろしく」
キネマ画『忠臣蔵』を描いた芹川文彰さんは73歳で亡くなりました。ふるさとの山鹿市には、討ち入り後に細川家に預けられ、切腹した赤穂義士たちの遺髪塔があります。
10月、上演会の実行委員会が山鹿市役所を訪れました。
【山鹿市 早田 順一 市長】
「素晴らしいなぁと。こういう方が山鹿にいらっしゃって、日輪寺にある遺髪塔とまた巡り合うというのは、『忠臣蔵』のご縁を感じました」
【キネマ画『忠臣蔵』活弁上演実行委員会 松尾 正一 代表】
「山鹿で生まれたものですから、山鹿の人たちに楽しんで、大事にしてもらいたいなと思います」熊本市中央区の市民会館シアーズホーム夢ホールの大会議室で開催される活弁と生演奏による上演会。チケットは残りわずかで、当日券はないそうです。
2026年は山鹿市で『忠臣蔵』の関係者が集まる『忠臣蔵サミット』が開催される予定です。