「笑い」に変えて伝える介護体験

9月は世界アルツハイマー月間。沖縄県内でも認知症への理解を深める取り組みが各地で展開されている。この活動に意欲的に取り組むのがテレビやラジオで活躍するお笑いタレントの喜舎場泉さんだ。自身の壮絶な介護体験を「笑い」に変えて伝える彼女の姿は、多くの人の心を動かしている。

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舞台の上で輝く「笑いの力」

西原町で開催された認知症啓発イベント。会場に入ると、笑い声が渦巻いていた。壇上ではお笑いコンビ「ゆうりきやー」の山田力也さん扮するおばーと喜舎場泉さんの軽快な掛け合いが繰り広げられている。二人の息の合ったコントに、観客からは次々と笑い声が湧き起こった。

自身の介護経験を「笑い」に変えて伝える泉さん。啓発イベントを行う理由を、泉さんはこう語る。

「私はお笑いというお仕事を神様から頂いたので、辛かったこと、悲しかったことを笑いに変えようと思ったんです。だから皆さん、とにかく笑ってください」

彼女の言葉には重みがある。なぜなら、その笑顔の裏には、涙と絶望の日々があったからだ。

始まりは「増え続ける傘」

泉さんの母・初子さんの認知症が始まったのは9年前。当時75歳だった母親の変化に、「まさか自分の親が」と戸惑いを隠せなかった。

きっかけは実家に帰るたびに増えていた新しい傘。なぜ買ったのか母に尋ねると「なかったから」と答えた。「こっちにあるさ!」と指摘すると「あい、あるねぇ」と母は驚いたように言った。

次に増えたのが爪切りだ。一般家庭では1つか2つ程度の爪切りが、初子さんの家では10個に増えていた。病院での診断はアルツハイマー型認知症。脳の一部が萎縮し、徐々に進行するこの病気は、記憶障害や判断能力の低下などの症状が現れるのが特徴だ。

日常を覆った闇と絶望

母の認知症を自覚してから日常は一変した。母親は何度も同じ質問を繰り返すようになった。「何時に帰るの?」と聞かれて「8時に帰る」と答えても、10分後にはまた同じ質問をされる。3回目、4回目と繰り返されると、ついには「何回言ったらわかるの!」と声を荒げてしまう。

認知症の母を抱える緊張状態は泉さんを追い詰めていった。朝の情報番組に出演するために家からテレビ局に向かう車の中が、唯一の一人の時間となった。

「車の中で毎日毎日泣いていました。『なんで私だけ?』って」

笑顔が売りのお笑いタレントが、いつしか笑うことができなくなっていた。次第に死を考えるようになった。風呂に入っている時も、「死にたい」という思いが頭から離れなかった。母を海にドライブに連れて行った時には「一緒に死のうかな」とえさえ考えた。

「泉が輝くことが母ちゃんの幸せ」

絶望の淵から泉さんを救ったのは、当時高校生だった姪の言葉だった。

「泉がテレビに出たらさ、あんなに手叩いて笑ってるんだよって。泉が輝く事が母ちゃんの幸せだよって言われて」(喜舎場泉さん)

「自分が輝くことが、母の幸せ」。心に光が灯った。一生懸命仕事をしている姿を母に見てもらおう。姪と一緒に、安心して母を預けられる高齢者施設を探し始めた。

躊躇していた施設への入所。しかし母は認知症になる前に「もし私が認知症になったら、大変になったら施設に入れなさいよ」と伝えていた。母との約束を守る思いでやっと踏ん切りがついた。

「1日1回笑ってますか?」

介護施設の支援を受けながら、家族で迎えた新たなスタート。この経験を「笑い」を通して伝えるために県内各地の舞台に立っている。講演会は単なる情報提供の場ではない。そこに足を運んでくれる人たちに、笑顔になれる時間を提供している。

「介護なさってる方に『1日1回笑ってますか?』って聞いたら、絶対笑ってないと思う。それぐらい大変だから。だから本当に皆さんに、お腹の底から笑ってほしい」

認知症の家族の介護で大切なのは、一人で悩みを抱え込まないことだ。自分の場合は母親の認知症を隠さなかったからこそ、周囲からの支援が得られたのだと泉さんは振り返る。

そして今、介護に疲れている人たちにこう語りかける。

「私もいっぱいいっぱいのときに、いっぱい母ちゃんを言葉で傷つけました。でもそれは、いま介護をなさっている皆さんに言います。大丈夫、自分を許してください」

誰もがなり得る認知症。当事者や家族が追い詰められることのない社会の実現を目指して、泉さんはこれからも舞台に立ち続ける。

沖縄テレビ

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