高齢になっても元気に働く人も増えています。宮城県大崎市には、82歳の今も現役でオーダースーツを仕立てる職人がいます。

真剣な表情で生地を縫い合わせているのは吉田三郎さん。1943年生まれの82歳です。この日は新作スーツの試作に取り組んでいました。

吉田三郎さん(82)
「細部にこだわりたいというか、そういう思いでやっています」

大崎市三本木にあるオーダースーツメーカーの宮城工場。吉田さんはこの道62年、82歳の今も現役のベテラン職人です。規格外の注文にも自在に型紙を作り出し、ひとり一人に合わせた唯一無二のスーツを仕立て上げます。

吉田三郎さん(82)
「修正したり作ったり、それの繰り返しですよね」

小さな針の穴に糸を通す細かい作業も、そして、職人としての意欲にも衰えはありません。

吉田三郎さん(82)
「やっているとね、次から次へと、ここはもっとこうしたらとか、いろいろアイデアが出てくるんですね」

吉田さんが働くメーカーは創業100年を超える老舗。「オーダースーツSADA」のブランド名で全国に46店舗を展開しています。工場直販のフルオーダースーツを販売しプロスポーツチームの公式スーツも手がけています。

オーダースーツ一着が完成するまでの工程は200を超え、それぞれが流れ作業で分業化されています。

中には一人前になるまでに10年程度かかる工程もあるといいますが、吉田さんはその全ての工程を一人で担うことができる、工場内ただ一人の存在だということです。

佐田宮城工場 加藤実工場長
「全工程を覚えるとなると1年2年では無理なんですね。10年15年はかかる」

現在は体調などを考慮して週5日、少し短めの勤務ですが、工場の人たちは、その存在の大きさは計り知れないと口を揃えます。

佐田宮城工場 加藤実工場長
「いくらでもいいんですね、少しでも顔を出していただけたら、ありがたいと思っています」

従業員
「吉田さんがいないと困る」
「何でも教えてくれるので、すごく勉強になりますし、頼りになる存在です」

1990年代には生地の自動裁断システムの開発・導入に携わりました。客の寸法を入力するとコンピューターの計算で自動的に生地を裁断するというもの。今ではなくてはならないシステムで吉田さんの大きな功績だといいます。

東京で生まれた吉田さん、若いころはボクサーになることを夢見ていたといいます。ところが…。

吉田三郎さん(82)
「中学2年の後半に胸の病気を患いまして」

病気の影響で体力を使う仕事は難しいと、夢を諦めました。

中学卒業後、近所の人に紹介されて入ったのが服飾の世界。住み込みでの仕事は、決して楽ではなかったそうです。

吉田三郎さん(82)
「仕事は好きでなかった。どちらかというと嫌いだったね。褒められることはあまりないですよ」

当初は、仕方なく始めたという気持ちであまり熱心ではなく、行き詰まりを感じて一度仕事を離れてしまいます。

その後、今の会社の当時の社長に請われてこの仕事を再開。心機一転仕事を続けていく中で、少しずつその面白さを感じていったといいます。

吉田三郎さん(82)
「自分でやった仕事を眺めながら、格好いいなとか、こうしたらいいなとか、簡単に自分の思ったままにチャレンジできる。そういうところが面白み。自分のやった仕事に責任というか誇りというか」

吉田さんが、常に大切にしていることがあります。それは…。

吉田三郎さん(82)
「魂は細部に宿る」

細かいところに目を配ってこそ良い仕事になるという吉田さんの信念です。

吉田三郎さん(82)
「良いものは細かい所まで手を抜かずにやっている。そこは大事にしていこうと、こだわっている。細かい所を気にしなければ、それで一番楽なんだろうけど、性格的に細かい所まで目につかない所も、ごまかしのない仕事をしたい」

吉田さんは後輩たちに技術のアドバイスも続け、技術の継承にも大きな役割を果たしています。

一方で、製作を担う職人たちの高齢化と、人手不足は大きな課題になっています。

人口減少や海外生産の増加などを背景に国内の縫製業界に共通する慢性的な課題。この宮城工場では従業員105人のうちおよそ6割が50代以上と深刻で、技術の継承も課題です。

こちらは吉田さんの作業を撮影した動画です。吉田さんが長年培ってきた技術を時代にあった形で残し、次世代につなごうと動画を社内で公開して、無形の財産を半永久的に残そうとしています。

確かな技術と信念で大切な一着を丁寧に仕立て上げる吉田さん。

吉田三郎さん(82)
「基本的に、この仕事が好きなんでしょうね」

年齢とともに仕事を続ける大変さは増しているといいますが、揺るぎない信念を持ち今日も一針一針に魂を込めます。

仙台放送
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