鹿児島県薩摩川内市にある老舗ドライブインに、訪れる客の9割以上が注文するという名物「チャンポン入りホルモン定食」がある。熱々の鉄鍋に豚のホルモンと野菜、そしてチャンポン麺が入ったこの料理。実は80年前の戦争にルーツを持つ、知られざる誕生秘話があった。

平和な時代に愛される戦時中生まれの味

薩摩川内市の国道3号沿いにある、昭和レトロなたたずまいの「十本松ドライブイン」。昼時ともなれば、駐車場に多くの車が止まり、店内は常連客でにぎわう。

「ホルモン定食。ここに来たら大体、頼んだりする」「チャンポン入りホルモン。有名ですね。おいしいですよ」

訪れた客に注文したメニューを聞くと、ほとんどがホルモン定食と答える。東京から仕事で訪れた客も地元の人のおすすめでホルモン定食を注文したという。

名物「チャンポン入りホルモン定食」
名物「チャンポン入りホルモン定食」
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甘めの味噌とホルモンの食感が絶妙なこの料理。国産ホルモンと野菜を自家製の味噌でつくった秘伝のタレで味付けし、じっくりと火を通したあと、最後にチャンポン麺を入れて完成する。麺は元々入っていなかったが、客のリクエストで加えるようになったという。

戦地で生まれた元気の出る料理

昭和40年(1965年)の創業と同時に提供されてきたホルモン定食だが、そのルーツは80年前の太平洋戦争時代にさかのぼる。

店の女将・杉元悦子さんはこう語る。「主人の父が戦争で料理当番だった。上官が『何か元気の出る(料理を)。元気が出らん(出ない)』と言ったのでホルモンを作った。そうしたら『おいしかー。元気が出た』と上官が言ったという話を聞いた」

後列中央が杉元栄さん
後列中央が杉元栄さん

女将さんの義理の父で十本松ドライブインの初代、杉元栄さん。戦争で徴兵された栄さんは元々料理好きで、戦地では炊事担当だった。中国に送られた彼は、厳しい戦況の中、上官にこう言われたそうだ。

中国戦線に送られた当時の写真
中国戦線に送られた当時の写真

「兵隊たちが元気が出るものを作ってくれ」

この一言で生まれたのが今につながるホルモン料理だったのだ。現在3代目として厨房に立つ孫の杉元一拓さんも祖父から話を聞いていた。「けっこうみんなぐったりしていたが、食べた途端に笑って笑顔になったと聞いた」

ホルモン料理の歴史

まさに戦地で生まれたともいえる十本松ドライブインのホルモン料理。しかし、今でこそ広く親しまれているホルモン料理だが、戦前から食べられていたのだろうか。

専門学校で講師を務める管理栄養士の池本弘乃さんは、ホルモン料理は戦前からすでに日本に伝わっていたという。

管理栄養士・池本弘乃さん
管理栄養士・池本弘乃さん

「戦前、戦後は朝鮮では食べられていた。北九州の炭鉱に働きに来た朝鮮の方々がそういう料理を作ったのが発祥」

日置市出身の池本さんは、食糧難に苦しむ兵士たちの話も語ってくれた。「私の家の裏に小さい山があってそこに日本兵が待機していた。その人たちが大変ひもじい思いをしていた。裏の入口から日本兵が来て『何か食べさせてくれ』。あの辺は野ウサギとかキジとかいれば必ず取って内臓も食べたと思う。とにかく食べるものがない」

多くの人の思い出が詰まった味

50年以上十本松ドライブインで働く悦子さんは、ホルモン定食に込められた歴史と思いを感じている。

店の女将・杉元悦子さん
店の女将・杉元悦子さん

「このホルモンを食べに来た思い出はそれぞれの家族にある。遺影を持ってきて、奥さんと息子夫婦で『主人がよく食べたんですよ』という思い出とか昔の人の話を聞くと涙が出てくる。みんなが愛してくださる味」

その味を受け継いだ一拓さんは、こう語る。「ホルモン料理が生まれたのは戦時中だが、平和な時に皆さんに元気になる料理を出したい」

厨房に立つ孫で3代目の杉元一拓さん
厨房に立つ孫で3代目の杉元一拓さん

兵士たちを元気づけるために生まれた料理は、今も多くの人々に愛されている。平和な時代だからこそ楽しめる味。戦後80年、平和の大切さをあらためて見つめてみてはどうだろうか。

(動画で見る:鹿児島・薩摩川内市 名物「ちゃんぽん入りホルモン定食」 ルーツは”戦争” 人気メニューの誕生秘話に迫る【鹿児島】

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鹿児島テレビ
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