新横綱・大の里はいかにして生まれたのか。実は幕下デビューは黒星だった大の里。その時、師匠の二所ノ関親方はどう思ったのか。第75代横綱・大の里。当時の取材などからその軌跡を振り返る。

大の里の誕生から『もっと強くなりたい』と留学するまで

新横綱・大の里
新横綱・大の里
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石川県の中心部に位置する津幡町。人口4万人に満たない小さな町で大の里こと中村泰輝は誕生した。父の知幸さんは、かつての取材で、昔の写真を見ながら「可愛らしいですよね。まぁるい顔して可愛らしい。」と話していた。

笑顔を見せる父
笑顔を見せる父

アマチュア相撲をやっていた知幸さんの影響で中村少年は7歳から相撲を始めたという。知幸さんは、「最初はそこまでって感じでしたけど、やっているうちに賞状とかメダルとかをもらって周りの人が喜んでくれる姿を見たら頑張ろうかなと思いながらやっていたんじゃないですか」と振り返る。

相撲を始めたころの大の里
相撲を始めたころの大の里

しかし、わんぱく相撲などで敗れたときに「もっと強くなりたい」と思った中村少年。中村少年は故郷から遠く離れた新潟県で中学・高校時代を過ごすことを決断する。大の里はのちにこの時を振り返って「今の時点ではあの決断があったから今があるって思いますね。」と述べている。

新潟へ相撲留学
新潟へ相撲留学

毎日が相撲漬け…両親と離れた強く強く

そんな新潟時代を指導した海洋高校の田海総監督は、当時の練習の様子について、「彼らの時は平気で50番、100番、午後8時、9時。子どもたちが時計を見ていると「時間で終わらないよ」みたいな。ここでは毎日毎日が相撲漬けでしたね。ただでさえ両親と離れてそれだけでも成長しますね、男の子は。わがままもきかないし」と振り返る。

新潟時代を振り返る田海総監督
新潟時代を振り返る田海総監督

高校卒業後は、日本体育大学に進学。2年連続でアマチュア横綱になるなど輝かしい成績を残した大の里。大学時代の同級生、寺尾拓真さんは、「相撲を第一に考えて、強くなるためにはどうしたらいいか対戦相手の動画をよく見たり研究しながらやっていたなという印象がありますね。簡単にまとめるともう相撲に対しての熱が強い。相撲が好きですね。」と大の里の相撲愛に感服していた。

同級生の寺尾さん
同級生の寺尾さん

2年連続のアマチュア横綱として角界へ

そして大学卒業後は…。

大の里:
一日でも早く関取に上がって日本中からも応援される関取になるのが僕の夢なので…

自分の夢を叶えるため元横綱・稀勢の里こと、二所ノ関親方がいる「二所ノ関部屋」への入門を決めた。ここから、力士「大の里」としての怒涛の大相撲人生が始まったのだ。

しこ名発表で話す大の里
しこ名発表で話す大の里

デビュー戦はまさかの黒星…師匠は「ちょっとまずいぞ」

新弟子検査では、「177キロ」だった、大の里。類まれなる体格で新弟子検査をパスし、幕下10枚目格付け出しでデビュー。しかし、注目の大相撲デビュー戦は、まさかの黒星スタートだったのだ。この時のことについて、二所ノ関親方は、「あぁ、これちょっとまずいぞっていうのが、3年計画、4年計画ぐらいで完全に体を大相撲修理していかないと、上でも通用しないような力士になるなと思ったので…」と振り返っている。

二所ノ関親方
二所ノ関親方

その後は徐々に本来の力を出し始め、所要2場所で十両昇進を果たす大の里。大の里は「お給料がもらえる社会人になったなっていう、ここからは強い相手が山ほどいるわけなんで、よりいっそう気が引き締まるっていう思いが強いですね。」と語っていた。

部屋で
部屋で

スピード出世で快進撃…名だたる力士を次々と倒す

その後も勢いは止まらず、十両もわずか2場所で通過。2024年の初場所で新入幕を果たすと、まだ大銀杏が結えない「ざんばら頭」で名だたる力士を次々と倒す快進撃を見せたのだ。

そして、三役入りして迎えた2024年夏場所。初土俵から史上最速となる所要7場所での幕内優勝という偉業を成し遂げた。

優勝パレード
優勝パレード

その後も番付を駆け上がり県民の期待に応え続けた大の里。2024年9月に2度目の優勝を果たすと、大関昇進の口上で、「大関の地位を汚さぬよう唯一無二の力士を目指し相撲道に精進します。」と述べ、スピード出世のちょんまげ大関が誕生したのだ。

大の里
大の里

2025年の春場所で優勝、そして、大関昇進後、わずか8か月で2場所連続の優勝。史上最速で横綱の地位まで昇り詰めた大の里。大横綱への道は今、始まったばかりだ。

(石川テレビ)

石川テレビ
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