島根・松江市出身のプロテニス選手・錦織圭選手が2026年シーズン限りでの現役引退を表明した。日本男子として初めて世界ランクトップ10入りを果たし、オリンピックや全豪・全仏・全英・全米の四大大会で歴史的な成績を残してきた錦織選手。36歳でラケットを置く決断を下した。

 「やり切った」――SNSに綴った引退の思い

引退表明した錦織圭選手のインスタグラム
引退表明した錦織圭選手のインスタグラム
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錦織選手は、5月1日の早朝に自身のSNSで引退を表明した。この中で「正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります。それでもこれまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます」と心境を明かした。
続けて「テニスという競技に出会えたこと、この道を歩んでこられたことを、心から幸せに思います」と、競技生活への深い感謝をつづっている。
さらに「残りの試合も一瞬一瞬を大切に、最後まで戦い抜きます」とコメントし、現役ラストシーズンへの強い意志も示した。

SNSに投稿したコメントは以下の通りだ。

今日は皆さまにご報告があります。
この度、今シーズンを持って現役を引退する決断をいたしました。

小さい頃からテニスに夢中になり、「世界で戦いたい」という思いだけを胸に走り続けてきました。
その中でトップの舞台に立ち、トップ10という場所まで辿り着けたことは、自分にとって大きな誇りです。
限界に挑み続ける日々の中で、勝利の喜びや敗戦の悔しさ、満員の会場で感じたあの特別な空気は、何にも代えがたいものでした。
また、度重なる怪我との戦いの中で、思うようにプレーできないもどかしさや、不安に押しつぶされそうになったこともありました。
それでも「テニスが好きだ」「もっと強くなれる」という思いが、何度でも自分をコートに戻してくれました。
そのすべての過程が、自分の人生を豊かにし、今の自分をつくってくれたと感じています。
どんな時も応援してくださった皆さま、そして常にそばで支えてくれた家族に、心から感謝しています。
正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります。
それでも、これまでのすべてを振り返ったとき、「やり切った」と胸を張って言える自分がいます。
テニスという競技に出会えたこと、この道を歩んでこられたことを、心から幸せに思います。 残りの試合も、一瞬一瞬を大切に、最後まで戦い抜きます。

錦織圭

JR松江駅前で配布された「号外」
JR松江駅前で配布された「号外」

地元・松江市の駅前では、引退を伝える号外が配布され、市民からは「驚きです」、「残念ですね」、「これからも続けていくのかなと思っていたので、驚きですね」といった声が上がった。
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輝かしい功績 アジア人初のグランドスラム決勝進出

錦織選手は2007年、17歳でプロに転向。テニス選手としては小柄な身長178センチながら、ジャンプしながら高い打点で打ち返す「エアケイ」などの多彩なショットと勝負強さを武器に、世界の強豪を次々と撃破していった。

2014年の全米オープンでは、アジアの選手として初めて四大大会の決勝に進み準優勝。日本男子として初めて世界ランクトップ10に入り、翌年には自身最高の4位にまで駆け上がった。
オリンピックには2008年の北京大会から5大会に出場。2012年のロンドン大会ではシングルスで5位入賞を果たし、続く2016年のリオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得。日本テニス勢では96年ぶりとなる表彰台という偉業を成し遂げた。

けがからの完全復帰への意欲語る錦織選手(2022年)
けがからの完全復帰への意欲語る錦織選手(2022年)

近年は度重なるけがの影響で思うようにプレーできない時期もあった。しかし、2022年11月に行われたTSKの単独インタビューでは、「テニスがしたいなというのはまだまだ変わらずあるので、その強い思いだけで、早く戻りたいというところに向けてモチベーションを持っていっている」と、再びコートへ戻る決意を示していた。

秘蔵映像が語る少年時代 「ラケットのほうが大きく見えるほど」

小学生時代の錦織選手(2001年)
小学生時代の錦織選手(2001年)

TSKが錦織選手を最初に取材したのは2001年。あどけなさの残る小学生のときで、「ラケットのほうが大きく見えるほど」だったという。
錦織選手は5歳のとき、松江市のテニススクールで競技を始めた。ずば抜けた運動神経でめきめきと腕を上げ、国内ジュニアのタイトルを総なめにしていった。当時から世界の頂点を見据えており、「ウィンブルドンとか世界の四大大会で活躍するようになりたい」と語っていた。

高校生時代(2005年)
高校生時代(2005年)

その後、中学生のときにアメリカへテニス留学。一時帰国した際には「自分自身、英語も話せるようになってきているし、成長していると思います」と話し、すでに世界のジュニア大会でも結果を残していた。目標はより具体的になっており、高校生になった錦織選手は「グランドスラムで優勝することです」と力強く言い切った。
そして2007年のプロデビュー時には、「練習を頑張って、トッププレーヤーを目指したい」と語っていた。松江から世界へ――その言葉どおりの軌跡を、約20年かけて歩み続けた。

2007年にプロ転向(当時17歳)
2007年にプロ転向(当時17歳)

山陰の指導者たちが語る「圭」の素顔

錦織選手が5歳から通った松江グリーンテニススクールで、少年時代に指導した細木秀樹コーチは、当時を振り返り「コートに入ったら一選手というオーラを出してテニスに向き合う。でもコートの外だとほんとに一人の少年という感じで、みんなと仲良くワイワイしているいたずらっ子という部分も出ていた。切り替えができている、ほんとに印象強い子でしたね」と語った。

少年時代に指導した細木コーチ(松江市)
少年時代に指導した細木コーチ(松江市)

引退表明を受けた細木コーチは「僕自身も圭のテニスがすごく好きで、すごく楽しいなと思える。最後の最後まで圭のスタイル、圭の楽しいテニスを貫いてほしい」とエールを送った。

また、コーチの娘でプロとして活躍する細木咲良選手は「小さいころからプレーを見て勉強させてもらっていたので、勇気と希望を与えてもらってすごくありがとうございましたという気持ちです」と、偉大な同郷の先輩への感謝を示した。このスクールには現在およそ100人が所属し、「NEXT圭」を目指して日々汗を流している。

細木咲良選手
細木咲良選手

一方、鳥取市のテニススクール代表で、錦織選手の少年時代に国内遠征への付き添いなどで指導にあたった石光浩司さんは「お疲れ様というよりも、ありがとうという気持ち。夢見させてくれてありがとう」と話した。
「遊び心を持ってテニスに取り組んで、相手との駆け引きをいっぱいしていた選手でしたね、小さいころから」と当時を懐かしむ石光さん。「日本人の男子でグランドスラムの優勝なんてもう夢のまた夢と思っていたところに、あと一歩というところまで来てくれたので、ほんとに感謝が一番ですね」と振り返った。

石光浩司さんと錦織選手
石光浩司さんと錦織選手

現役ラストシーズンに向けては「けがを最小限に抑えながら頑張ってくれるといいな。第二の人生のスタートラインにもうちょっとで立つんだろうなという感じなので、ゴールじゃなく、ほんとに常にスタートラインに立ったねという声はかけてあげたい」と激励した。
 

故郷・松江からラストシーズンへエール

松江市内の和菓子店・彩雲堂(さいうんどう)は、2015年に全米オープンで準優勝を果たすなど四大大会で快進撃を見せた錦織選手を応援しようと、テニスボールそっくりに仕上げた和菓子を作り、故郷からエールを送り続けてきた。

彩雲堂の錦織選手応援和菓子
彩雲堂の錦織選手応援和菓子


専務の山口晋平さんは「長い間お疲れさまという気持ちで拝見しました。私も小さいときから同じテニスをしていたので、地元とテニスを盛り上げたいという気持ちで作ったお菓子が、思った以上の反響があって当時すごく驚いたのを覚えています」と話した。

彩雲堂・山口専務
彩雲堂・山口専務

松江市の上定市長も「けがと闘いながらも、最後まであきらめずコートに立つ姿は、松江市民のみならず、日本中・世界中のみなさんに勇気と希望を与えてくれました。最後の最後まで全力で応援します」と、これまでの活躍をたたえ、ねぎらいの言葉を贈った。

松江から世界へ。日本のテニス界を約20年にわたって牽引してきた錦織圭選手の現役ラストシーズンは、まだ続いている。

(TSKさんいん中央テレビ)

TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

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