“風の強い日”に下見
原の誘いに乗り中村は多弁になった。
「そうですね、では3月30日の何日か前の風の強い日、長官公用車が止まっていた路上で、コート姿の2人の中年男性が長官の出勤を待っていました。
長官が玄関(Eポート)から出て、公用車に乗る前に、この2人は長官に声をかけて立ち話をしていたのですが、風が強かったためか、長官はこの2人を連れてEポート内に戻ってしまいました。秘書官の動きは分かりません。
その後602号室まで戻ったかは追尾していないのでわかりません。この2人は南千の警備係というよりは上級の立場にいる警察関係者と思われます。重要な要件があって長官に話をしたと思いました。
このことにより警備態勢が強化されるのではないかと思い狙撃当日、SPもろとも撃ち倒すサブマシンガンを持っていきました。
サリン事件後、風が強い日はこの日だけだったと思います」

原は、下見の目的を確認しつつ、更なる秘密の暴露を引き出そうとした。
――サリン事件後、狙撃を念頭に置いて行動していたわけですね?
「そうです。その当時の心境は別に文書にします。
それと3月30日の何日か前に公用車が変わりました。防弾仕様にしたのかとも考えましたが、乗車する前に狙撃するのであるから車については関係ありません。でも車を変えるのであれば他のことも変わるのではないかと類推しました。例えば警備態勢とかです」
――ナンバーは覚えていますか?
「ナンバーはメモとして持っていたのですが、既に焼却しました。うろ覚えですが、品川の3ナンバーで変わる前か後の車のひらがなが『り』だったと思います。2人の人物がいた日と公用車が変わった日のどちらが先かはメモを焼いているのでわかりません」
国松長官宅の表札
「それと集合郵便受けには『国松』と表示されていました。国の字が旧漢字か新漢字か覚えていません。602号室には横書きで「國松孝次」という表札がありました。これらの事は主に支援者の報告で知りました」

――事件当日に覚えていることは他にありますか?
「狙撃後、銃を新宿の貸金庫に戻し、帰宅のため中央線下りに乗車して、武蔵小金井駅で下車すると南口の改札に1人、北口に戻る跨線橋に1人、北口の改札に1人、少し離れたところに1人、制服の警察官が立っていました。
この警察官は制帽ではなく、機動隊がかぶるようなキャップ式の帽子をかぶっていて、物々しい緊急配備でしたよ。私は北口ロータリーからバスに乗り小平市の自宅アパートに帰りました」
こう話し終えると中村は「必ず裏が取れますから捜査してみてください。これで刑事部幹部も安心して眠れるでしょう」と言ってのけた。
支援者は「ハヤシ」
原が「きょう話したことは書類にするので署名してください」と言うと、中村は「分かりました。それにしても公安部はどうするのですかね。今後の成り行きを見ていきましょう。オウム信者を逮捕してしまったからには私を立件するハードルが高くなってしまいましたね。99%の証拠固めができないと立件しないかな」と挑戦的な笑みを浮かべたという。
この時、中村は「支援者」がいたことを初めて明かす。
これ以降、中村はこの「支援者」に仮名をつけ「ハヤシ」と呼ぶようになった。
【秘録】警察庁長官銃撃事件53に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。