2025年は「戦後80年」を迎える年。UMKテレビ宮崎は「過去を知る・未来に伝える」をテーマに戦争についての企画を放送している。太平洋戦争末期、宮崎県延岡市の離島に空襲があり住民6人が亡くなった。空襲から80年を迎える日を前に、地元の子供たちが慰霊碑を清掃した。

宮崎県延岡市の離島・島野浦島。

1945年5月2日、アメリカ軍の空襲により、島野浦国民学校の4人と住民2人が亡くなった。

4月30日は、島野浦学園の児童生徒合わせて12人が、島野浦小学校の跡地にある「学童戦災之碑」を清掃。

石碑をふき上げ花を供えた後、全員で黙とうして犠牲者の冥福を祈った。

生徒:
犠牲者は私たちと同じ子供だから、これからいろんな出来事もあっただろうし楽しいこともあったはずなのにと、自分の事のように考えて悲しい。

児童:
みんなが悲しむような、2度と起きてはいけないような被害だと思った。みんなが平和に暮らせるような世の中であってほしいと思う。
島野浦の空襲については、6月に市内で開かれる「戦争と原爆展」で生存者が当時の状況を解説することになっている。
(テレビ宮崎)
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