高校女子バレー界の名将が旅立った。九州文化学園を15回の日本一に導いた井上博明監督が、4月26日、下咽頭がんのため67歳で亡くなった。真実(こころ)のバレーを追い求めた井上監督の功績を振り返る。
真実(こころ)のバレーを追い求めて
真実(こころ)のバレーを追い求め続けた井上博明さんは、南島原市有家町の出身。

福大大濠高校、日本体育大学を卒業後、1980年に佐世保市の九州文化学園から声がかかり、保健体育の教諭として赴任した。

井上博明監督(2023年12月):大切にしているのは、目に見えないところを大事に、何を考え、どんな気持ちで、どんな視点観点を持って、そういうところ。

精神面の指導にとどまらず、ネットに暗幕をかけた練習など、試行錯誤の末たどりついた技術指導が九文バレーを全国レベルに押し上げた。
1988年、兵庫インターハイで全国大会初の決勝進出を果たすが、準優勝では納得いかなかった。当時、国見高校で指導していたサッカーの小嶺忠敏監督、KTNの松永アナウンサーと酒を酌み交わしながら語りあかした番組では、準優勝した帰り、佐賀の肥前山口駅で列車を降り、佐世保まで歩いたエピソードを明かしていた。

井上博明監督:ここで歩かなきゃ、小嶺先生のいうすごい指導者になれない。日本一になるためには、帰っていって準優勝おめでとうと言われたらそれで終わりかな。負けたんやって、1回戦で負けても決勝戦で負けても一緒やから、まだ1回も日本一になってないんやから、もう1回考えんといかんから歩いた。
翌年の1989年の徳島インターハイで初の日本一に立つと、特急みどりで佐世保駅に到着。歓迎パレードも行われた。

2003年、長崎ゆめ総体で九州文化が地元インターハイで優勝し、男女アベック優勝を達成。翌2004年も春高全国で九州文化が優勝。男子は佐世保南高校が優勝を果たし、佐世保勢同士のアベック優勝。

さらに九文はこの年の国体でも頂点に立ち、春高・インターハイ・国体の高校三冠を達成した。井上監督は「これだけの努力をしてきたと誇りを持った形でコートの上で表現できた」と振り返った。

身体能力のすぐれた選手が多く集まる関東や関西の強豪に「真実(こころ)のバレー」で立ち向かい、「15」回も日本一になった。
西彼杵高校でも春高全国大会へ
井上監督は九州文化を退職後、2023年4月から西海市のスポーツ専門指導員として西彼杵高校バレー部の外部監督に就任。

県庁での会見では「真実(こころ)のバレーの進化を頑張ってやっていくことが、西海市の地域の方々にも応援して頂けるようなチームになっていくんじゃないか」と語っていた。
井上監督に指導を受けたいと九州文化から転校した17人とともに、半年間、公式戦に出られないなかでも“真実(こころ)のバレー”を追い求めた。やがて、西海市の地域の人たちがバレー部のファンになり、練習を見学に訪れるようにもなった。
西彼杵就任2年目の2024年、ついに県大会を制し、インターハイと国スポでチームはベスト8に入った。

春高県大会では初優勝を果たし、全国大会出場を決めた。井上監督は選手たちに「高校バレー、高校スポーツの歴史上体験したことがないことを体験した。体験するだけでなく結果を残した。全国大会は経験しに行くのではない。結果を残しに行く。それを頑張れ」と激励した。
しかし、春高全国大会では治療のため指揮を取れなかった井上監督。指導への意欲は衰えず、教え子たちのことを気にかけていたというが、4月26日未明に息を引き取った。
名将を惜しむ声
67歳で生涯を閉じた井上監督。早すぎる別れに、長崎県内の各界からも名将を悼む声が届いた。

大村工業男子バレー部を2回の日本一に導いた県高体連バレーボール競技専門部長の伊藤孝浩さんは「長崎県全体のスポーツのシンボル、生きざま、指導者としての姿勢に我々も刺激を受けた。目標の日本一に向け、模範となる人。動きを1つ1つ追いかけ、相談したりアドバイスをもらったり、井上監督がいなかったら日本一を取れなかった」と振り返る。

同じ西海市の大崎高校野球部監督で、20年指導者として薫陶を受けてきた清水央彦さんは「残念で早すぎる。本人が一番悔しいのではないか。井上先生は根性論を言語化して生徒に伝えられる人だった。一生懸命でしかなかった若いときに考え方を育ててもらった」と語った。
告別式には400人が参列
井上監督の告別式には、九州文化学園や西彼杵高校の卒業生、高校バレーの関係者など約400人が参列した。

西彼杵高校バレー部後援会の朝長隆洋専務理事は、「井上バレーは日本一を目指しながら、そのステージに立つにふさわしい、本当の意味での心身ともに強い選手を育成していると深い感銘を受けた」と語った。
教え子からは感謝の言葉が聞かれた。 西彼杵2024年度卒の平川結香さんは、「教えてもらったことを通して、自分たちが頑張っていくところを見てほしい」と語った。 九州文化学園2017年度卒の佐々木彩佳さんは、「井上先生のおかげで一生の仲間ができたことをとても感謝している」と述べた。 西彼杵2023年度卒の市川すみれさんは、「誰にも体験できないことをさせてもらえた。感謝の気持ち」と語った。
真実(こころ)のバレーを受け継いだ選手たち
井上監督の教え子たちは、早すぎる別れに戸惑いを隠しきれない。

西彼杵高校3年 田中心主将:うまく言えないけど、会えるのが当たり前と思っていたから戸惑った。

至学館大学3年(愛知)田中凜さん:最後は会いたかった。それが一番だった。
田中さん姉妹はともに井上さんの教え子だ。妹の心さんは西彼杵で現在キャプテンを務めていて、姉の凜さんは九州文化学園時代に春高に出場した。凜さんは大学でもバレーを続けているが、恩師の教えが今も支えになっていると話す。
至学館大学3年、田中凛さん:最後は気持ちが強い方が勝つ。身長が高くなくて、身体能力も高くない中で心にささった。バレーじゃない部分にもつながることをたくさん教えていただいた。

西彼杵の選手たちは2024年6月の県高総体のあとに病状を伝えられたというが、井上さんはそのあとも指導を続けていた。
西彼杵高校 田中心主将:後悔とかこうしとけばよかったというのはある。一番は先生が悔しいと思う。目の前の試合を一つ一つ勝つことが自分たちがやることだと思う。そこに向かってやっていこうと思う。

井上さんの教え子で、コーチとして共にコートに立った出野久仁子さんは「人から応援されるチーム、一球一球に本当に心が動くバレーを目指して、こつこつ頑張っていきたい」と継承を誓う。
2025年の県高総体の開幕まであと1カ月を切った。選手たちは井上監督の告別式の日も練習を行った。名将から教えを受けた「真実のバレー」を実践しようとしている。
(テレビ長崎)