Xの新供述 「ガフヴァ…」名乗る男

「3月25日、井上嘉浩さんから指示があり、教団幹部の島田理恵子さん(仮名)に連絡しました。すると島田さんから『オウムを陥れる者を調査しているが、声をかけられたりして上手くいかないので協力して欲しい』と頼まれたので、この日、午後10時ごろ、春日駅近くで待ち合わせをして車で迎えに来た2人の男とアクロシティ(※長官銃撃事件の現場)に向かい下見をしました」

井上嘉浩元死刑囚
井上嘉浩元死刑囚

「助手席の男は年齢が27~28歳で身長が175センチくらい。鼻筋の通った細身の男でホーリーネームがガフヴァなんとかで始まる男に似ていました。(*編集部注 以下「ガフヴァなんとか」を「ガフヴァ…」と表記)

その男から途中『何かあったら警察手帳を出してください』と言われたので、この任務は2人を防衛することだと理解したんです。アクロシティの中の住居棟やゴミ置き場などの調査をしました」

ホーリーネーム「ガフヴァラティーリア」こと端本悟元死刑囚
ホーリーネーム「ガフヴァラティーリア」こと端本悟元死刑囚

「犯行前日の3月29日は、築地特捜の捜査会議が終わり、午後8時頃に春日駅で降りて井上さんに公衆電話で連絡しました。その際に井上さんから建設省の偉い人に電話するよう指示されました。
指示通りに連絡したところ中年の男がでて『井上さんから話は聞いている。私の頼みを聞いて欲しい。警察庁長官を撃って欲しい』と言われましたが、できることとできないことがあると言って断りました」

警察官の身分でオウムを防衛

「犯行当日の30日は、朝起きるとポケベルに井上さんから着信があったため外へ出て公衆電話から連絡しました。電話の相手が誰だったのかはっきり覚えていませんが『今本郷まで来ている。手伝ってくれ。大きめのコートを貸してくれ』と頼まれ、当時は小さくなって着られなくなった灰色のコートを紙袋に入れ、白ワイシャツに背広、カーキ色のコートという服装でショルダーバッグと紙袋を持って本郷郵便局前まで行きました。

灰色のコートの穴からはスプリングエイトの鑑定により拳銃発射の残渣物が見つかった 資料:スプリングエイト
灰色のコートの穴からはスプリングエイトの鑑定により拳銃発射の残渣物が見つかった 資料:スプリングエイト

白いセダンに乗って待っていたのは、ホーリーネームが『ガフヴァ…』の男で、付けひげとカツラで変装していました。午前7時ごろ、その車に乗り込むと『何かあったら警察手帳を見せて下さい』と男が言ってきたので、自分の任務は検問や職務質問を受けたら警察官の身分を利用してオウムの人を防衛することだと理解しました。

途中寝てしまいましたが、20分くらいで現場に到着したと思います。そこは車がやっとすれ違えるくらいの狭い道で、左側が塀で右側にクリスマスツリーのような木がありました。男に促されて車を降りると、前に停まっていたワンボックスカーの右横に早川のような男、髭面の矢野隆(仮名 教団幹部)、背の高い男、かなり若い男の4人が立っていました」

事件現場となったアクロシティ 東京・荒川区
事件現場となったアクロシティ 東京・荒川区

「さらにその先に停めてあったスポーツタイプの車に乗るよう指示されたので乗り込みました。数分後運転席に乗り込んできた若い男の運転で走り出し、アクロシティの外周部を周っていったと思います。その後、しばらく熟睡してしまい、バタンというドアの閉まる音で目を覚ましたんです」

「上手くいった、当たりました」

「右側の後部ドアから男が乗り込んできました。運転手の男に『前を見て下さい』と言われたので男の姿ははっきりと見ていないんです。運転手と後部座席の男の会話で『上手くいった。当たりました』との話をしていました。

貸した灰色のコートが後部座席に置かれていたので犯人かもしれないとも思いました。車が路地から日光街道に出て入谷交差点を過ぎたところで後部座席の男と入れ替わるために一度車を降りました。その時、後部座席にいた男は本郷郵便局に朝迎えにきたホーリーネーム『ガフヴァ…』の男でした」

東大病院で診察を受けた記録はなかったが…
東大病院で診察を受けた記録はなかったが…

「それから東大病院まで車で送ってもらい、病院には午前9時前には着いて、診察室にいた男の先生に警察手帳を見せたら診てくれて、正式な診察ではなかったかもしれませんが『縮瞳はありません。もう大丈夫です』と言ってくれました。診察の証拠がないと言われますが、自分は確信を持っています。間違いなく診察して貰いました」

役割は“逃走支援”に

2002年から翌年にかけてのXの供述は96年当時の「自分が撃った」から98年の「自分は関与していない」の全面否認を経て「犯人の逃走支援のために行った」というものに変遷した。

実行犯らしき男はホーリーネーム「ガフヴァ…」の男だとして端本を示唆する供述を始めたのである。また東大病院の診察については間違いなく診察をしてもらったと言い張った。事件を認知したきっかけについては当初の「本富士署公安係、結城部長(仮名)から聞いた」という話から「東大病院の先生から聞いた」あるいは「結城部長から電話で聞いた後、東大病院の先生も私に話してくれた」という話に変わっていった。

【秘録】警察庁長官銃撃事件39に続く

【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】

1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。