井上のミス
仮谷さん拉致に使った車は、杉並区の京王井の頭線高井戸駅の高架下にあったレンタカー会社で借りられていた。そのレンタカー契約の際の書類に実行犯の1人、熊本茂(仮名)が自分の指紋を残したことから、オウム真理教による犯行の疑いが一気に強まったのである。

これにより95年3月22日に警視庁などはオウムの山梨県上九一色村(当時)にある教団施設に対する強制捜査に踏み切ることができた。

仮谷さん事件はオウム壊滅に向け突破口となった最重要事件だった。オウムにとってみれば最大の失敗だったと言っていい。
井上は自分の配下の者が大失敗してしまった負い目から95年3月頃には教祖麻原の目を避けるようになっていった。
井上に代わりXと繋がった早川
当時について“建設大臣”こと教団幹部の早川紀代秀元死刑囚が逮捕後の取り調べで、「一斉捜索の後、『教団がこんな風になったのは井上のせいだ』と尊師(麻原)が言っているのを聞いたことがあります」と証言していたことからも、教団内部で井上の立場が悪くなっていたのは間違いない。

井上が表舞台から身を引いていった中で、井上に代わりXが早川らに引き上げられるかたちでにわかに表舞台に出てくるようになったと言っても過言ではない。当の井上もそのあたりの経緯について取り調べでこう話していた。

「早川さんから3月27日ごろ電話がありました。川越のウィークリーマンションから都心に向かう車の中で話したのを覚えています。早川さんは『どっかの公衆電話から電話をくれ』と言っていましたので、聴かれてはまずい話なんだなと思いまして、東大和市内のファミリーレストランに立ち寄って、店内にあった公衆電話から早川さんに電話をかけなおしたんです。
早川さんは『Xのポケベル番号を教えてくれ』と言ってきたので、すぐに教えました。
その後、29日に早川さんに会った時、『Xさんを何に使っているんですか?』と聞きましたが、返答はなく、はぐらかされました」
Xを指導してきた井上の影響力が低下し、早川がXに影響力を及ぼそうとしていたことがわかる。