昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
プロ野球最多記録となる11試合連続完投勝利、2年連続20勝など数々の偉業を成し遂げた斎藤雅樹氏。最多勝5回、沢村賞3回、通算180勝96敗。1980年代後半から1990年代にかけて槙原寛己氏、桑田真澄氏とともにジャイアンツの三本柱として活躍し、“平成の大エース”と呼ばれたレジェンドに徳光和夫が切り込んだ。
【中編からの続き】
セ・リーグ強打者を手玉に取ったカーブ
徳光:
斎藤さん、あの決め球はカーブ、スライダーどっちなの。
斎藤:
僕はずっとカーブって言ってるんです。
最初に曲がったカーブをイメージしてるんですけど、だんだんだんだん曲がりも小さくなって、最後は逆にちょっと小さくもしたんです。あまり曲がりが大きいと左バッターのインサイドに投げるときにコントロールしづらいんですよ。曲がりすぎちゃうと当たっちゃうし、じゃあと思って外に投げると真ん中に入ってきたりする。それで少しスライダーみたいな感じのも投げるようにはなったんですね。普通の評論家の人たちはスライダーって言ってるんですけど。
徳光:
握りは違ってたんですか。

斎藤:
僕の握りは普通の人と違うと思います。普通、カーブやスライダーみたいなのは中指を縫い目にかけて握ると思うんですよね。でも、僕は人さし指に掛けてたんですよ。
徳光:
縫い目を。
斎藤:
それでひねる感じですね。グッてひねって曲げる。
徳光:
スライダーも同じ握り方なんですか。
斎藤:
同じです。少しひねりの強さを変えてる感じでした。僕、元々真っすぐを投げてもちょっと曲がる。真っスラ。これが一つ、僕の武器でもあったんですけど…。
徳光:
斎藤さんのボールは揺れてるって言われてましたもんね。
斎藤:
はい。真っすぐがちょっと曲がっていくんですよね。それが僕の武器でもあったので、それと、大きく曲がるカーブと、ちょっとしか曲がらないのと。その辺は最後のほうは工夫してましたね。
開幕戦3年連続完封勝利も…セレモニー見られず
徳光:
斎藤さんは開幕投手を6回も務めていて、これも大した記録だなって思うんですが、開幕投手っていうのは、独特のプレッシャーなんですかね。
斎藤:
いや、ありますね。とりあえずその年、中心で頑張ってくれっていう意味も込められてると思うんですよ。

1994年から1996年にかけて斎藤氏は開幕戦3年連続完封勝利をあげている。94年は広島・北別府学氏、95年はヤクルト・岡林洋一氏、96年は阪神・藪恵壹氏を相手に投げ勝った。
徳光:
この3年連続開幕戦完封っていうのもすごいですよね。相手ピッチャーももちろん、開幕投手なわけなので当然エース。エース同士の対決っていうプレッシャーもあるんですかね。
斎藤:
もちろんありますよね。基本的には1年間ずっと同じローテーションでぶつかっていく回数が一番多くなるはずなんですよね。だからそこでこけちゃうと、結構ずっとこけることになるんですよ。
徳光:
やっぱりあるんだ。
斎藤:
そうなりたくないってまず思うんですよね。
ところで、開幕戦ってセレモニーがあるじゃないですか。
徳光:
えぇ、えぇ。

斎藤:
僕たちの頃はよくアイドルの方が始球式に来られてたんですよね。ベンチ、ロッカーは、みんなキャッキャッしてるわけですよ。
徳光:
なるほど、誰々が来ると。
斎藤:
だけど僕一人だけじっとしていてズーンとなってるんですよね。だから、セレモニーに参加したこともない。何をやってるかも見たことがない(笑)。
徳光:
そうか。
斎藤:
そういう楽しみはないんです(笑)。
“三本柱”が投げた中日との「10.8決戦」

1980年代後半から1990年代にかけて巨人の先発投手陣は、斎藤氏、槙原寛己氏、桑田真澄氏が“三本柱”として活躍。斎藤氏の通算180勝を筆頭に、桑田氏が173勝、槙原氏が159勝と盤石のローテーションを誇っていた。
徳光:
当時、ジャイアンツの三本柱、斎藤さん、槙原さん、それから桑田さんがいたわけですけど、信頼感というのはかなりあったんですか。
斎藤:
もちろんです。ライバルではありましたけど、ずっと何年にもわたって、3人で助け合いながらというか補い合いながらやってたなっていう気はしてますね。
徳光:
それまで藤田監督だったわけじゃないですか。1993年に監督が藤田さんから長嶋さんに代わったときって、斎藤さんの中で変化はありましたか。
斎藤:
まず、「僕のことを知ってるのかな」って思いました。
徳光:
ほんとですか。
斎藤:
いや、ほんとに。で、最初会ったときに「斎藤」って呼ばれたんで、「あっ、大丈夫だ」と思いました。
徳光:
そうですか(笑)。
斎藤:
すぐ人を間違えられるじゃないですか。

徳光:
よくね、間違える(笑)。
斎藤:
とりあえず覚えてくれてると思いました。
長嶋さんはファンの方の喜ばせ方というか、常にそういう意識をしていることがすごいなって思いました。あとは、もう僕たちの前でもほんとにあのまんまでしたよ。
徳光:
そうですか。怒ったりなんかする瞬間湯沸かし的なところはなかったですか。
斎藤:
前回、選手をやめられてすぐ監督になられまして、そのときはすごく厳しかったみたいですよね。西本さんとか江川さんとかも結構…。
徳光:
やられたみたいですね。
斎藤:
はい。僕たちのときは、もうそれはなかったですね。
徳光:
でも、「10.8」のときは様子が違ってたってことはないですか。

長嶋氏がジャイアンツの監督に復帰して2年目の1994年、巨人と中日は激しいペナントレースを繰り広げる。最後は、同率首位のチーム同士の最終戦直接対決となり、巨人が中日を破ってリーグ制覇を成し遂げた。プロ野球史上に残る伝説の「10.8決戦」だ。
斎藤:
あのときは、長嶋さんが僕らに暗示をかけた感じですよ。
徳光:
三本柱に?
斎藤:
三本柱というか全員にですよね。
前の日に、三本柱を部屋に呼んだ呼ばないっていうのがよく言われますけど、僕は呼ばれてないんですよ。槙原さんと桑田は「呼ばれて部屋へ行った」って言うんですけど、僕は呼ばれてないんです。
徳光:
へぇ。
斎藤:
僕は2日前の10月6日に投げてたんですね。だから中1日。僕が一番間隔が空いてない。槙原さんと桑田で、例えば、槙原さん6回、桑田が3回で終わる、それですんなりいってくれたらいいなって思ってたんじゃないかなって、僕は思ってるんですよね。
徳光:
それは違うと思います。
斎藤:
そうですか。

徳光:
長嶋さんに話を聞いたら、「あの日は完全に3人でいくつもりだった」と。
斎藤:
そうなんですか。
徳光:
だから、ほんとは斎藤さんには最少回数で投げさせようとしたんだけど、槙さんが意外にね…。
斎藤:
うん。そうでした。
徳光:
あんまり内容が良くなくて、槙さんがわずか2回途中で降板になった。2回でダメになるとは思ってもみないですよね。
斎藤:
思ってないです。槙原さんが先発で、とりあえずそのあとのリリーフの順番も決めとかなきゃいけないじゃないですか。もしダメなときは次は誰と誰っていうね。僕と宮本(和知)さんが2番手だったんです。要するに、槙さんの次は俺か宮本さん。で、交代になったんですね。
徳光:
えぇ。

斎藤:
だから、そのときも、ベンチから呼ばれたんですけど、一回聞こえないふりをしたんです。「いいよ、無理、無理、無理、無理…」と思って。でも、何回か呼ばれたんで「はい」って言ったら、「いけるか?」みたいな感じで聞かれたんで、「いけません」とは言えないじゃないですか。だから「はい」って言って。で、長嶋さんがピッチャー交代に出ちゃったんですよね。
徳光:
そんな状況だったんだ、あれは。
斎藤:
出ていったときノーアウト1・2塁だったんですね。でも、バッターが(ピッチャー)の今中(慎二)だったので、100%バントのケースだったんです。
徳光:
なるほど。えぇ、えぇ。

斎藤:
それでバントを僕が捕って、たまたまサードでアウトにできて。
徳光:
えぇ、できましたね。
斎藤:
ワンアウト1・2塁になったんですよね。
徳光:
あのときは、さすが斎藤さんだってなったんですよね。フィールディングがいいってことでね。
斎藤:
それもあってあそこで僕に変えたんじゃないかっていう話もあるんですけど。

この試合で巨人は6対3で中日に勝利しリーグ制覇を成し遂げる。斎藤氏は2回途中から5イニングを投げ1失点で勝利投手となった。実は、この試合で斎藤氏は途中で内転筋を負傷しながらも投げ続けたという。
斎藤:
5回くらいのときにちょっと痛くなったんですよね。
徳光:
えぇ、えぇ。

斎藤:
(キャッチャーの)村田(真一)さんが来たとき、「村田さん、足痛い、足痛えよ」って言ったら、「いいんだ。お前、足がもげてもいいから投げろ」みたいな感じで言われて…。
徳光:
(笑)。
斎藤:
6回のマウンドに行く前にバンテージをガーッと巻いて、最後の1回はそれで行きましたね。
でも、この試合はほんとにもうホテルを出るときから、長嶋さんにみんな暗示をかけられてますから。僕はそう思ってるんですよ。
この試合の直前、長嶋監督は宿舎でのミーティングで「俺たちは勝つ!勝つ!勝つ!」と連呼し、チームの士気を高めたと言われている。

斎藤:
最後、全体ミーティングになったときに、長嶋さんが「絶対俺らは勝つよ!お前ら絶対勝てるよ!」っていうことを言ったのが、「勝つ!勝つ!勝つ!」だと思ってるんですよ。
徳光:
そうですか。
斎藤:
それで最後、「じゃあ、行くよ」って言って、みんなで「うおーっ!」ってなって出たんですよ。バスに乗り込んだときには、みんな「俺たちは勝てるんだ」って思ってたと思いますよ。
届かなかった200勝
徳光:
31歳の時点で斎藤さんは154勝してるんですよね。
斎藤:
はい。
徳光:
200勝は間違いなしと思われたんですけど180勝。200勝への思いはありましたか。
斎藤:
まだローテーションで投げられていたら、もちろん狙ったというか行ったかもしれませんけど、辞める前の2年間は、もう全然働いてないわけですからね。

斎藤氏の2000年の成績は3勝1敗、2001年は2勝2敗だった。斎藤氏はこの2001年のシーズンを最後に現役生活に別れを告げた。36歳での引退だった。
斎藤:
2000年はふくらはぎの肉離れですね。で、2001年はシーズン中にももの肉離れなんですよ。
何ていうんでしょうかね、自分のスタイルを変えるっていうことも一つのやり方でしょうけど、僕は基本的にそれはなかったんですよね。
徳光:
変えたくはなかった。
斎藤:
投げ方がサイドだとはいえ、自分の中では本格派で、真っすぐでガーッといってから変化球というイメージだったんです。例えば130km/hくらいの球をインコース、アウトコースに投げ分けてみたいな、そういうスタイルは僕は無理だと思ってたので、そういうふうに変えるつもりは全くなかったですね。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/1/21より)
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