プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

横浜・中日で27年、歴代最多の3021試合に出場、捕手としては3人目の2000本安打を達成した谷繁元信氏。中日では選手兼任監督も務めた“レジェンド”に徳光和夫が切り込んだ。

【前編からの続き】

憧れの原辰徳と打席で対面「うわぁ原辰徳だ」

徳光:
プロに入ってみての印象はどんなものでした?

谷繁:
大洋ですか?齊藤明雄さんでしょ、遠藤(一彦)さんでしょ。僕入った時。

徳光:
初キャンプの時には当然、齊藤さんとか遠藤さんのボールを捕るわけでしょう?どんなもんでしたか?

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谷繁:
齊藤明雄さんのコントロールの良さとボールの回転の良さはやっぱりすごいなと思いました。もうこのへん(胸のあたり)しか来ないんですよ、ブルペンで。

徳光:
回転って、どういうことなんですか?

谷繁:
投げた瞬間からミットに収まるまで、同じ回転で来るんです、きれいに。

徳光:
へえ、そういうふうに見えるんですか?

谷繁:
シューって入ってくるんです。
当時、僕が入った年は前半が沖縄キャンプ、で中盤から終盤に、草薙で静岡でキャンプをやりました。
そこに行った時に、まさかの齊藤明雄さんと同部屋です。

徳光:
へえ、いきなり齊藤明雄さんですか?付き人みたいなことをやらされて?

谷繁:
とは言っても、僕まだ18ですから、お酒の相手もできないですし。だって毎晩飲むんですよ。

徳光:
らしかったらしいですね。

谷繁:
毎晩です。ちょうどホテルの目の前が酒屋だったんですよ。だから僕はいつも買い出しに行って。で、僕はコーラをいつも買ってもらってたんで。

徳光:
未成年だから。
こわもてじゃないですか、見た目だけでいうと。

谷繁:
優しいんですよ、齊藤さんは。

徳光:
オープン戦からいきなり活躍するんですよね。

谷繁:
そうです。斎藤雅樹さんから、下関(球場)のこけら落としで。ポール際にホームランを打ったんですよ。オープン戦にもかかわらず、ガッツポーズしてますからね。

徳光:
でもその年、20勝とか挙げている時の当時の斎藤ですもんね。

谷繁:
そうなんですよ。

徳光:
オープン戦とはいえ、18歳に打ったわけですよね。

谷繁:
そうなんです。で、卒業式だったんですね、次の日だったか次の次の日。だから学校に帰ったんですよ。そしたらみんなに言われましたよ、「斎藤からホームランを打ったな」って。

徳光:
もう伝わってたわけだ。
一番最初に巨人ファンっておっしゃってましたけど、巨人と対戦するわけじゃないですか。いつもテレビで見ていた選手との対戦。

谷繁:
そう、特に原(辰徳)さんがね。原さんがプロ入った時って、5年生か6年生でしょ、僕。だから打ち方とかまねしてました、原さんの。肩にあごをこう乗せて。
で、原さんを初めてこの打席で、僕がキャッチャーで打席に入った時、全部何往復も見ましたもん。上から下まで何往復も見て。「うわぁ、原辰徳だ」みたいな。そこはファンですから。

徳光:
ただ当時ね、高卒のキャッチャーとして、1軍でやっぱりマスクをかぶるっていうのは、まれなケースだったと思うんですよね。

谷繁:
ほとんど、たぶんなかった。

徳光:
珍しかったですよね、かなりね。それはどうですか?ご自分の中の周囲を見てね。「俺はそこまでやっぱり期待されてるんだ」っていうのは。

谷繁:
そうですね。それよりも、なんかそこまでプロ野球に対して本気な自分はあんまりいなかったような記憶です。だからそのうち慣れてくるし、そうしたらもっと打てるようになるだろうし…っていうような安易な自分がずっといましたね。

徳光:
2年目から4年目までの谷繁さんの出場試合数なんですけれども、75試合、82試合、74試合と、まだ完全な正捕手ということではない?

谷繁:
ではないですね、同じような成績を4年間。
でもさすがに、4年目に須藤(豊)さんが5月で辞められたんですよ。

須藤さんは、ものすごく僕を「なんとか一人前のプロ野球選手、一流のキャッチャーにしたい」、そういう思いでずっと接してくれた須藤さんが5月で辞められたんですね、途中で。
で、監督代行になったのが江尻(亮)さん。ヘッドコーチをやられてたんですけれども、その瞬間から起用法が変わったんですよ。もう秋元(宏作)さんがメインになったんですね。もうひとり、秋元さんという西武から来た…。

徳光:
西武から来た秋元さん。

谷繁:
秋元さんがメインになったんですよ。明らかに変わったんですね。で、これもしかしたら、このまま行ったら、自分は早くクビになるかも、この成績だと、冷静に見て。これはちょっとまずいなっていう、自分の中で芽生えて、そこからですね、本気でプロ野球に対して取り組み始めたのは。

恩師・大矢明彦コーチ 谷繁育成の「4カ条」

徳光:
その後、 江尻さんではなくて…。

谷繁:
近藤昭仁さんになったんです。

徳光:
近藤昭仁さんになるわけですね。

谷繁:
そうですね。大洋からベイスターズになる年です。

徳光:
ちょうどこの年になるわけですね。

谷繁:
僕は5年目にベイスターズになったんで。

徳光:
大矢(明彦)さんが呼ばれたんですよね?

谷繁:
バッテリーコーチでその時に入られたんです。

徳光:
大矢さんは相当厳しかったですか?

谷繁:
厳しいというか、大矢さんもずっと時間を一緒に過ごしてくれるコーチでしたね。

徳光:
大矢さんが作った「谷繁メニュー」みたいなものがあったみたいですね。
教えといいますか、4カ条的なものですか?

谷繁:
そんなのあった?…あっ、思い出しました。

(1)「読書をしなさい」。当時ね、漫画ばっかり読んでたんですよ。それをまず禁止みたいなね。だから歴史の本とか、豊臣秀吉とかの本を読みなさいって言って、結構な数読みました。

徳光:
それはキャッチャー論とか、戦略とか?

谷繁:
戦略とか、「人をどう使っていくか」っていう。

徳光:
(2)「1試合分の配球を覚えなさい」ってのは、どういうことですか?

谷繁:
これは、1球目からプレイボールからゲームセットまで、自分が受けたボールを全部覚えなさいっていう。
プレイボール、第1球何、第2球目何、第3球は何。打ち取りはこれで打ち取りましたって。
これをずっと言っていかなきゃいけないんですよ。最初なんて1イニング言えないぐらいですよ。

徳光:
そうでしょうね、それは。

谷繁:
それを毎日毎日やってると、最終的には全部言えるようになりました。

徳光:
9イニングまで?へえ、すごいな。

谷繁:
できるようになりました。

徳光:
将棋指しみたいですね。記憶力って、もともとの素質かと思ったんですけど、鍛えられる?

谷繁:
僕は訓練したらできるようになると思います。僕はなかったです、正直。

徳光:
それから3番目のね、「勘を大事にしなさい」って、これはどういうことなんですか?

谷繁:
この場面で自分の中で2択あるんだけども、迷うことってあるじゃないですか、キャッチャーも。そのときに、パンと勘で「よしこれ」っていう、そういう勘を養う必要があるっていうような説明なんですね。だからその勘を養うのには、常日ごろ、毎日のその生活からそういうことを取り入れなさいっていうふうに大矢さんに言われたんですよ。
高速道路でいうと、(料金所が)3レーン、4レーン空いてる中で、どこが一番早いかって瞬時に決めるんですよ、走りながら。一番どこが早く抜けられるかっていうのを、一瞬にして判断して、そこに入っていくんですよ。
勘の悪いときは、そこが例えば、お金を出すのが遅いとかね、そしたらその日はちょっと自分の中で、ちょっとこう、謙虚に謙虚に今日は試合を進めていこうと。今日は自分の勘がさえてないっていう。

徳光:
そうなんですね。勘がさえている日は、やっぱりよかったわけですか?

谷繁:
いいです、やっぱり。それは今も使ってますけどね。

徳光:
今どういう場面で使うんですか?

谷繁:
今?

徳光:
評論で。

谷繁:
ああ評論でですか?ああ評論ではあんまりやんないです。

徳光:
あれですか?ゴルフですか?

谷繁:
違う。

徳光:
全国24カ所あるところですね(笑)。

谷繁:
ボートレース場ですね。
そういうふうに使ったりですね。

徳光:
大矢さんの教えがそんなところで…でもいいかもしれない(笑)。
で、4つ目が「投手を把握しなさい」。これは味方の投手ってことですか?

谷繁:
そうです。投げるボールだけじゃなくて。性格ですね。すべては分からないですけど、すべてに近づくぐらい把握しなさいっていう。
だからロッカーの中で、どういう表情なのか、どういうロッカーなのか、どういう表情で練習をしてるのかすべて見なさいって言われてました。

徳光:
大魔神はいかがでした?当初のころは大魔神のワンバウンドがなかなか受けられなかった…。

谷繁:
そうですね。結局はそこで、またもうワンランク僕を上げてくれましたよね。
だから僕が先発で出ていっても、終盤というか勝ちゲーム、佐々木さんが出てきたときには、もう代えられてたんですよ。佐々木さんがやっぱり僕だと不安だったらしくて、そのワンバウンドを投げるのが。
どうしても野手やってたんで、もともと。こうやって捕るんですよワンバウンドを、体を持っていかずに。それがなんかピッチャーからすると不安だったみたいで。
で、大矢さんが「じゃあもうちょっと練習しかない」と。これは数やって体に染み込ませるで、やり始めたんですけど、それを意図的にピッチャーが見えるところで毎日練習したんですよ。

徳光:
へぇ。佐々木見てたわけですか?

谷繁:
そうです。それを佐々木さんはずっと見てたんですよ、1年間。で、ある時に「もうシゲでいいですよ」って言ってくれたみたいです。

徳光:
シゲでいいって。
佐々木投手のボールを取るために、ミットも工夫されたって、自身で工夫されてやってる話もあるよね。

谷繁:
そうです。僕こういうやっぱり癖があるんで、ミットに“入って”ほしかったんですよ。“捕る”んじゃなくて。ワンバウンドとか来たら、スポンと入ってほしかったんで、普通のキャッチャーのミットよりもちょっと深めなんですよ、僕のミットは。

徳光:
今日、谷繁さんのミットを持ってきていただいたんですけども…。

谷繁:
これ、現役最後の時に使ってたやつだと思う。

徳光:
ずいぶん違うもんですね、こうやって。

谷繁:
これもう、見ただけでたぶん違うと思います。

徳光:
深さが違うんですね。全然違いますね。開き方も違いますね。

谷繁:
ファーストミットのキャッチャーミットみたいな。

徳光:
むしろ素人考えですと、入りすぎて(投げるときに)握り損ねるんじゃないかっていう。

谷繁:
僕は、時と場合にはよるんですけど、基本ミットの中に手を入れようとしないんですよ。僕はミットから手に渡すイメージなんです。一般的にはこう来る、入ってきたボールをこう取りに行って、こうなんですけど、僕は入ったものをこういうふうに渡すんです、ミットのイメージ的には。

徳光:
素早くですね。

谷繁:
だから、これが広いミットだと、こうやろうとしたときにこっちに遊ぶの、出ていくんですよ。だから取りづらくなるっていうこともいろいろ考えながら。

徳光:
それとあれですか、“佐々木大魔神”のフォークボールを受けるときに、逆にワンバウンドになりそうなボールって、これ取りにくくないですかね。

谷繁:
ワンバウンドをこのへん落ちて、こうやって押さえると、開いとけば勝手に入ってくるんで、やっぱりスピードがあるじゃないですか、140km/hぐらいあるんで。この衝撃でミットがちょっと力抜いとけば閉まるんですよ。

徳光:
あぁなるほど。

谷繁:
閉める必要ないんですよ。

徳光:
あぁそういうことか、球速があるんですね。

谷繁:
そうです。元の形はやっぱり、大矢さんがアメリカから仕入れてきたミット。アメリカのミットってこういうイメージなんですよ。どちらかというと、ちょっと深めなんですよ。

徳光:
やっぱり大矢さんとの出会いは大きいんですね。

谷繁:
大きかったですね。大きいです、やっぱり。だから僕は、8年目に初めてレギュラーに、「取った」じゃなくて「ならせてもらった」んですよ。

徳光:
大矢監督の時ってことですか?

谷繁:
大矢監督の1年目です。盗塁阻止率が第1位で、打率も3割に行きましたもんね。

徳光:
96年ってことですよね?

谷繁:
96年です。

唯一の打率3割 最後は古田へのお願いで?

徳光:
だって3割打ったんですもんね。

谷繁:
まぁなんちゃって3割です。

徳光:
いやそんなことないですよ。

谷繁:
最終戦にね、神宮でね、最終戦。

徳光:
それは古田との駆け引きですか?

谷繁:
駆け引きじゃないです。お願いしました、僕が(笑)。
1打数1安打だったら3割だったんですよ。

で、1打席目に入った時に、古田さんに「古田さん、最後1本行ったら3割なんですよ」、「わかった」。「もうわかった」=「ストレート」なんですよ。アウトコースのストレート。パーンと右中間に打って3割取って、で、次の打席の前に交代です。

徳光:
ああそうですか。
古田さんってキャッチャー、どういうふうに思われます?

谷繁:
スーパーマンですね。

徳光:
ええ、そんな高い評価ですか?

谷繁:
いや、やっぱりキャッチャーですから。同じポジションですから。キャッチャーをやりながら4番打って首位打者取って、しょっちゅう3割って、なかなかできないと思います。

徳光:
あれはやっぱりキャッチャーだから、つまり相手投手の投球、あるいは相手チームのキャッチャーの組み立て方とか、そういうのを読んで打ってたから、ああいうふうに打てたんですかね?

谷繁:
まあ、ある程度読みはあると思います。でも技術がないと、やっぱり打てないですから3割は。

徳光:
できないでしょうね。それはでも、谷繁さん自身もやっぱり技術も読みもあったわけでしょうから、そういうのあったんでしょう?

谷繁:
そうですね。僕、本当に身近な人にしか言わないんですけど、キャッチャーじゃなかったら、もうちょっと打つ自信はありました。

徳光:
それだけキャッチャーっていうのは…。

谷繁:
やっぱりね、5回、6回、7回ぐらいになると、本当に握力もちょっと弱くなってくるし、考えることもやっぱり多いんで、どうしてもうまく自分の中では切り替えてるんですけど、そこまでちゃんと切り替えられない。キャッチャーで失敗したことをそのまんまモヤモヤしながら打席入って、いつの間にか終わってたっていうことも、もう何百打席もありますし。

徳光:
ああそうか、気苦労みたいなものがなくバッターボックスに立ちたら、もっと打てたってこと?

谷繁:
僕は打って… 自信は僕はありましたけど、ある程度は。

【後編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年6月24日放送より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/

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