食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「ソース五目炒飯」。
新宿にある中華居酒屋「石の家」を訪れ、極太麺を2種類のブレンドソースで仕上げた、普段のチャーハンとは全く違う独自の味わいのメニューを紹介。新宿の一等地で73年、店が歩んできた歴史秘話にも迫る。
昔は閑散、南口の老舗中華居酒屋
東京新宿区・新宿駅の近くにある「石の家」。
植野さんは新宿駅前を歩きながら、「かなり前ですが1980年代。新宿の近くに住んでいたことがあって、夜な夜なディスコに行っていたという思い出の街」と懐かしむ。
続けて、「そんな新宿もその頃と変わりまして、南口は本当に何もありませんでした。馬券売り場ぐらいしかない記憶でしたが…」と話し、店に向かった。

そんな店がある東南口エリアは、過去に番組で訪れた「鳥茂」や「鼎(かなえ)」、「池林房」などもある。
昼はランチ、夜は中華をつまみに飲める
「石の家」の怒濤(どとう)の1日が始まるのは、ランチタイムの11時半から。営業開始と共に、客がひっきりなしに来店し、30席ある店内は15分ほどで満席になる。

12年前に店を受け継ぎ3代目となった、店主の太田裕子さんのほかに、7人で店を回しているが、忙しいランチタイムは、ホールも厨房もフル回転。
調理を担当する2人のスタッフは、どちらも中国出身。炎をあげながら豪快に鍋を振るうのが、店長の陸春平さんだ。とんかつ・そば・日本料理などの店を渡り歩いたあと、25年前からこの店に勤めている大ベテラン。

昼はお得なランチセットや麺類を目当てにくる客が中心だが、夜は中華料理をつまみにお酒を楽しむ人たちも。
「中華料理で飲めてコスパも良くてとてもいい」「子供の頃から親父に連れて来られて30数年来ている」と常連も多い。まさに昼から夜まで、オールタイムで賑わう大人気店だ。
昭和スターに愛された味
現在のビルになる前の昭和27年に開店した「石の家」。
太田さんは当時の写真を見せながら紹介し、店名の由来は「むかし実際に石造りの家だったから」と話す。

甲州街道を挟んだ徒歩1分の場所に馬券発売施設「ウインズ新宿」があるが、当時の写真に写る店先に座り込む人は、当時の競馬の予想家だという。
太田さんはさらに「2階には勝新太郎さんが昼寝していた」「他にも永六輔さんとか松田優作さん、青島幸雄さんもいらっしゃった」と逸話を明かす。

『上を向いて歩こう』の作詞家としても知られる永六輔さんは、一杯やりながら「ねぎみそ」をつまみ、俳優・松田優作さんは、売れる前にアルバイトの休み時間を使ってよく「レバニラ定食」を注文していたとのこと。

元東京都知事の青島幸男さんは家族で来て、餃子とタンメンを食べることが多かったという。
植野さんが「あのソース五目炒飯を作ったのは誰だったんですか?」と尋ねると、太田さんは「私の父です」と答える。
ソースが大好きだった2代目で、太田さんの父・耕市さん。
当時、炒飯にソースをかけて食べる客が多いのに気付き、「俺もソースが大好きだけど、お客さんも好きなんだなぁ」「そうだ!それなら最初からかけちゃえ!」ということで、「ソース五目炒飯」が誕生したそう。

そんな耕市さんは、ソースと同じくらい海や島が大好き。突然サイパンに行き、おしんこ「ココ」を学んできたのも耕市さん。性格は根っからの自由人らしく、今は伊豆大島に住んでいるという。

本日のお目当て、石の家の「ソース五目炒飯」。
一口食べた植野さんは「最初よりも二口目、二口目より三口目、どんどんハマる美味しさ」と絶賛した。
石の家「ソース炒飯」のレシピを紹介する。