食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは、高田馬場にある町中華「一番飯店」の「豚ロースしょうが焼き」。

常連の心をつかむ、パンチのある味付けで仕上げた肉料理と、常連だった手塚治虫さんのリクエストで生まれた名物メニューの誕生秘話にも迫る。

幅広い年代に愛される高田馬場の町中華

「一番飯店」があるのは、東京新宿区・高田馬場駅。

「僕も学生の頃ここら辺に住んでいて、よくバイクで通りましたよ」と懐かしむ植野さん。

JR山手線に西武新宿線、そして東京メトロ東西線の3路線が走る高田馬場。町のシンボルのひとつが、去年50周年を迎えた商業ビル「ビッグボックス」だ。スポーツ・アミューズメント・ショッピングなどの複合施設で幅広い世代に長年愛されている。

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植野さんは「アジフライの美味しい『酒肴 新屋敷』や、『はやみ』という美味しい焼き肉店もあります。僕も大好きな『ラミティエ』という名店のビストロなど、いろいろな店が高田馬場にはあります」と話し、店に向かった。

吉田茂、手塚治虫…著名人が愛する味

高田馬場駅から徒歩8分の場所にあるのが、開店から73年目を迎えた、歴史ある町中華「一番飯店」。細長い形の店内には、1階と2階それぞれにテーブル席がある。

吉田茂が内閣総理大臣だった頃、官邸で料理を担当した先代が開き、現在は2代目の山本義家さん(71)と息子の隆正さんを中心に営んでいる。

お客さんに話を聞くと「10年以上前から通っている。やっぱりうまいから、断然ギョーザだね」「50年くらい、初代の代から通っている。今はチャーハン、昔は中華丼」と長年通う常連も多く、ずっと通いたくなる店だ。

植野さんも「こちら伺ったことはないんですけど、行きたいと思っていた」「『特製上海焼きそば』、これですよね、手塚治虫先生の…食べてみたかったんです」と興奮する。

名物「特製上海焼きそば」誕生秘話

お店の創業について植野さんが尋ねると、「私の父が、昭和27年に白金台で開業しました」と山本さんは答える。

山本さんの父・健二さんは、当時の首相・吉田茂にその腕前を認められ首相官邸で料理をふるまうほどだった。その後、店舗を高田馬場に移転。山本さんも子供のころから手伝いをしていたそう。

当時、近所には出前を取る会社が多く、その中でもお得意様だったのが手塚プロダクションだった。

「ある時、たまたま珍しく先生が打ち合わせにいらして、その時、初めてお会いした時に“君悪いんだけどさ、焼きそばの上に八宝菜かけてきてくれないかな?肉は鶏肉が良いな。エビとかさ、イカとかさ、しいたけとかいろいろ入れて”と言われて」と山本さんは振り返る。これが今では「一番飯店」の名物になった「特製上海焼きそば」誕生秘話だという。

いつもの味を守ることが恩返し

「特製上海焼きそば」をはじめ、初代が作り上げたさまざまなレシピは今でも味を変えていないそう。

2代目の山本義家さん
2代目の山本義家さん

山本さんは「30歳過ぎてから、ちゃんと料理をここでやるようになった。遅いので、普通にやっていたらとても追いつかない」「嫌がる父親を拝み倒して調味料1個1個全て計らせてもらった。オヤジをなだめるのが大変でした」「味を揃えることがお客様の期待に応えること、いつもの味」と語った。

いつもの味を提供するため、山本さんは朝の9時から仕込みを始める。いつもの掃除にいつもの味。一番飯店は「変わらない」ことを大切にしている。

山本さんは「いっぱい支えてもらったお客様への恩返しでもあります、変わっていないってことは」「それを大事にしています」と愛される秘訣を語った。

本日のお目当て、一番飯店の「豚ロースしょうが焼き」。 

一口食べた植野さんは「ロースの厚さがちょうどいい、たれのおかげでボリュームを感じる」と感動していた。

一番飯店「豚ロースしょうが焼き」のレシピを紹介する。