「裏を取らないこと。これは命令だ」
「とにかく、Xにこのまま話をさせよう。井上や平岩聡(※オウム信者・仮名)にアリバイがある中で、Xは虚偽の供述を繰り返したわけだが、これ以上は、Xの嘘を追及するのはまだやめておこう。Xに話を存分にさせることが大事だ」
「それと」と桜井公安部長が続けた。
「Xが話したことは絶対に裏を取らないこと。これは命令だ」
容疑者の供述が現場の状況と矛盾しないか、犯人しか知り得ない事実はないのか、裏付けを取っていくことは捜査の常道と言って良い。

Xが「自分が撃った」と自供するに至っても、警視庁は彼の存在を公表することもなく、事件捜査の基本に立ち戻ることもしなかった。
それが警視庁最高幹部の判断だったことに驚きを禁じ得ない。
この状況下では、どんなにXから供述が出てこようとも、捜査は一向に先に進まず、ホンボシかどうか判断がつかないからだ。
Xは気が狂ったのではないかとの印象を持った最高幹部もいたとされるが、少なくとも警視庁警察官が警察庁長官を撃ったと自供したことの重大性を鑑みれば、直ちに世間に公表せざるを得ない事態だったのは誰の目にも明らかだった。
X供述の詳細
5月5日の午後、池袋サンシャインシティでの泊まり込みの事情聴取は再開された。
――昨夜は眠れたかい?
「全く眠れませんでした」
――そうか。きのうの話の続きをするんだけど、ちゃんと話せるかい?
「私が長官事件に関与したことは間違いありません」
Xはきっぱりとこう言い、少し吹っ切れた様子だったという。
石室が「どういう経緯で撃つことになったのかな?」と切り出すとXは淡々と話し始めた。

「前日の29日の午前4時30分ごろ、井上と菊坂下で待ち合わせて河原に行きました。
ルートやどこの河原だったかは覚えていません。
井上から『拳銃があるのですが橋脚に向けて撃ってみましょう』言われ、井上はチャック付きのバッグから拳銃を取り出しました。
『これなんですが、どうやって撃てばいいんですか』と聞いてきました。
照星と照門を合わせてゆっくりと引き金を引くんです。そうすると当たりますからと教えてあげました。

井上が一本足の看板に向かって両手撃ちで1発、私も片手撃ちで1発撃ちました。
私と井上が撃った弾は全て命中し、看板に穴が開いたと思います。薬莢は井上の指示で草むらに投げ捨てました。
帰りは寮の近くまで送ってもらい、車から降りる際に井上が、『私が持っているとまずいので、“救済の日”まで預かってください。練習しても良いですし』と言われ拳銃を渡されました。
私はそのまま寮に戻り拳銃を机の引き出しに入れて、サリンの特捜本部に出勤しました」
「救済」とはオウムの言葉である。元々は仏が迷っている生きとし生けるものを苦しみから救い出し悟りの世界へと導くという意味だ。オウムの教祖麻原は殺人でさえも「救済」につながるとして正当化した。
「長官を撃ってください。これは救済です」
Xの供述は続く。
「事件の日は午前7時45分ごろポケベルで呼び出されて、またいつもの寮近くの電話ボックスから電話をしたら、『これから長官を撃ちに行きます。撃ってください。これは救済です』と言われ驚いてしまいました。
まさか自分が撃つことになるとは思っていなかったので、嫌ですと言って断ったんです。
それでも井上さんは『救済です』と何度も言ってきました。断り続けていたら『では来るだけで良いです』と食い下がってきたんです」
Xは井上から執拗に犯行への加担を求められたことを強調していた。しかし当の井上は当日に現場にはいなかったことが既に捜査で明らかになっている。その件は後回しだ。石室は我慢した。
【秘録】警察庁長官銃撃事件22に続く
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。