「オウムを助けてください」
「事件当日3月30日は朝からどんなことをしたのか話してくれないか?」
「ポケベルが鳴ったので井上に電話をすると『オウムを助けてください。敵を攻撃しますので手伝ってください』と懇願され『近くにいます。預けてあるものを持ってきてください。どこに迎えに行けば良いですか?』と聞かれたので本郷郵便局前を指定しました」

「そこへ向かうと平岩聡(仮名)さん運転の赤い軽自動車が待っていました。井上は助手席に乗っていたので私は後ろに乗りました。
平岩さんから『走っていて検問で停められたらお願いします。着いたら起こしますから寝ていて下さい』と言われ目を閉じていましたので実際車がどこを走ったのかわかりません」
「平岩の車に乗ってどこに行ったの?」
「最初に車が停まった場所は2メートルくらいのコンクリートの壁があるところで、左側に街路樹がありました。そこで平岩から『あの車に乗り換えてください』と言われ指示通りに乗り換えました」

「どんな街路樹だったか覚えている?」石室がこう尋ねると、Xは手振りのジェスチャーで山の形を数回描いてみせたうえで、「クリスマスツリーの様な木です」と話した。
「オウムがやったと思いたくなかった」
5月2日の事情聴取では、石室はXがこれまで嘘をついた訳についても聴いていた。
「Xくん、これまでなぜ不正確な供述を繰り返していたんだ?」

「すみません。オウムがやったと思いたくなかったんです。自分も共犯にされてしまう。警察に陥れられてしまうと思ってしまいました。最初は私を逮捕しに来たのではないかと思い、続けて2回も3回も違うことを言ってしまいました。これからは知っていることを全て話します」。
Xは自分が虚偽の供述をしていたことを明確に認めていた。
なぜ嘘をついたか。
「オウムがやったと思いたくなかった」
Xの供述をそのまま借りるのが一番分かりやすい。
オウムが犯罪集団であるとは考えたくないというX自らの意志で嘘を繰り返していたという。
この後も続く度重なるX供述の変遷の裏には、徹頭徹尾この思いがあったと言っていい。
【秘録】警察庁長官銃撃事件18に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。