聖無頓着
何に怒ったのか?Xが露わにした一瞬の憤りを石室も栢木も奇妙に思った。
「聖無頓着」とはどういう意味なのか調べてみると、数年前のセミナーで麻原の説法で使われた言葉だったことが判った。
聖なる者=麻原は無頓着である。つまり全ての事件について自分は知らない、自分の知らないところで起きた。教祖・麻原が、そう宣言したことを意味していたのではないかとの結論に至る。

Xは麻原の言葉をその様に読み取り、「そんなこと信者に言っちゃいけないんだ」と思わず憤慨し叫んだ一幕だったのではないか。
「高速道路の下を走っていたら…サイレンが鳴っていた…やはり…タクシーに乗った方が…」この呟きは何だったのか。

長官事件の現場である荒川区南千住から文京区の本富士署に戻るには、昭和通りに出る必要がある。昭和通りの上には高速道路が走っている。
あの日、事件発生を受け現場に急行する緊急車両をXはどこかで目にしていたのかもしれない。3人の調べ官はそう思った。
ブレるX供述
この「聖無頓着」の一件以降、Xに1つの話を詳しく聴こうとすると、その都度供述のディテールを細かく変えるようになっていったのである。

東大病院の待合室にあるテレビでニュースを見て事件の発生を知ったと話していた経緯について、「確か午前8時30分過ぎに病院から本富士署の公安係に電話をしましたら結城(仮名)巡査部長が出て、『たった今警察庁長官が撃たれて緊配中(緊急配備中)で大変だよ」と教えてくれたので、待合室の公衆電話から井上さんに電話したんです」と、話を変えてきた。
同僚から聞いて事件発生を知ったという。
供述の変遷部分について本富士署警備課公安係でXの同僚だった結城に確認を行った。
すると結城は確かにXから電話があったと証言する。

未曾有の事件発生で本富士署管内でも緊急配備が敷かれ、公安係員は結城以外、配置につくため外に出払っていた。結城が1人電話番のため残っていたところXから電話があり、その時は既に事件の発生はテレビで報じられていたという。
Xはこの電話の数10分後、同僚への差し入れの缶コーヒーを持って本富士署に戻ってきたと結城は明かす。
Xは結城との電話のやりとりについては事実を話した。
しかしその電話は、ニュースが騒ぎ出した後であるため、結城との電話で事件発生を知り、井上に教えたという話では、前述の井上証言と辻褄が合わない。
井上は事件発生をXからの電話で知ったと証言した。井上証言の重要要素である「まだ報道されていません」とXが言ったとする点と、Xの電話が早川との電話の前だったという点は、早川の架電時間(午前8時36分)とTBSの速報の時間(午前8時46分)という客観的事実とも辻褄が合っていた。
話をしばしば変えてくるXの変節漢ぶりに石室らは振り回されていく。
Xの動揺
この日の聴取の最後に石室は「南千住に行ったことはないのか?」と尋ねた。Xは「南千住や三ノ輪方面には行っていません」と全否定する。

長官事件を本富士署公安係の結城巡査部長から聞いたと供述を変えたこの日から、Xの態度にさらに変化が見られた。
答えに詰まると顔を赤くさせたり貧乏ゆすりをする場面が多くなり、時に涙を流したりすることもあり精神的な動揺を隠しきれなくなっていったのである。