「暴力団vsオウム」の構図から、オウムの犯行に見せかけ暴力団が事件をおこしたという見立てから調べ始める。
関係者への聞き込みを続けたが、結局長官銃撃事件との関連は見えてこない。
暴力団とオウムには多少のトラブルはあったものの、双方がお互い近寄らないように気をつけていたような状態だったことが判ってくる。様々な情報が捜査線上に浮かんではすぐに消えていった。
激震をもたらした井上嘉浩の証言
長官事件発生から1年が経過した1996年3月、停滞しきった特捜本部の沈黙をぶち破るような話が入ってくる。
それは教団の“諜報省大臣”こと、幹部の井上嘉浩の証言がきっかけだった。
井上は地下鉄サリン事件など、教団による数々の事件に関与していたが、犯行を自供。1995年12月には教団からの脱会も宣言し、他の信者にも麻原や教団への帰依を棄てるよう呼びかけていた。
その井上が、長官事件について興味深いことを話した。

長官事件発生当日、井上は信者の林泰男元死刑囚と川越のウィークリーマンションに泊まっており、そのことは井上の運転手の証言からも確認されていたため、長官事件への井上のアリバイは成立していた。

アリバイがあることから刑事部は、井上に長官事件について聴くことを後回しにしていた。
事件から1年が経ち、井上が関与した他の事件の全容が明らかになっていったため、長官銃撃事件についても井上に聴いてみようとなったのである。

この頃の井上は教団への帰依は完全に棄てたとみられ、取調官と井上の信頼関係も出来ていた。
1996年3月12日、捜査一課の調べ官は井上の事件当日のアリバイを知っているので、長官事件について雑談の様に「例の長官事件について、井上くんはいつ知ったんだ?」と尋ねた。
すると井上は「長官が撃たれたという情報は、協力者である警視庁本富士警察署公安係のX巡査長から電話を貰い知りました。X巡査長は『まだ報道されていません』と言っていました」とさらっと言ったのである。
オウム信者の警視庁巡査長
井上は、長官銃撃事件を告げるX巡査長からの電話は、教団幹部の早川紀代秀から来た電話の直前だったことも明かした。

この情報は、特捜本部の限られた幹部にもたらされる。すぐさまこの井上供述の裏を取るべく、早川から井上への通話記録がないか調べた。すると早川から井上への架電が午前8時36分だったことがわかった。
長官銃撃事件発生を最初に伝えたテレビ報道はTBSのニュース速報で、午前8時46分である。
TBSの速報より少なくとも10分以上も早く、X巡査長が井上に長官銃撃事件発生について伝えていたことが判明したのだ。
長官銃撃事件に現職警察官が関与の可能性浮上。
驚天動地の話が警視庁の最高幹部にも報告される。