尊師が褒めてくれた
「3月22日は、地下鉄サリン事件など凶悪犯罪に手を染めた幹部信者が上九から蜘蛛の子を散らすように逃げて行って全員がいなくなり、捜索の立ち会いを私が尊師に命じられたんです」

「捜索の立ち会いをしている際に、捜査員が壁や部屋の寸法を巻き尺で計測していて『巻き尺の端を持ってくれ』と頼まれたので、わざと巻き尺を緩めたりして正確に計測できないようにしました。すると尊師の隠し部屋を隠すのに成功したんですよ。
捜索が終わって、隠し部屋から出てきてメロンなんかを食べている尊師に巻き尺を緩めた話をしたら、『矢野もやっと使えるようになった』と褒めてくれたんです」

陽気に話す矢野の話にしびれを切らした石室は、本題に切り込んだ。
「これは金子牧男(仮名)ですね」
「そういえば事件当日の長官が撃たれた直後に、テレビ朝日に不審な電話があったけれども、君は何か知らないか?」
この問いかけに、矢野は意外にも「是非聞かせてください」と応える。
赤坂署は青山通りに面している。日中は大型トラックなどの車の往来も多い。ただでさえ張り詰めている取調室で、都会の喧噪も容疑者の緊張を和らげる効果があると思い、石室は窓を開けていた。
すると、騒音がうるさかったのか、矢野は自ら立ち上がって取調室の窓を閉めた。そしてテレビ朝日で録音された音声に真剣な眼差しで耳を傾けた。
矢野は聴くや否や「これは金子牧男(仮名)ですね。やつは茨城県の出身なので、イントネーションがこの辺で上がるところがそっくりですね」と言ってのけた。
「本当か?」思わず声を上げてしまうほど石室は驚く。
信者である金子を売り渡すようなことを簡単に言ったからだ。

金子の教団内のランク(「ステージ」と呼ばれた)は「愛師」という中級幹部で、教団建設省に所属。建設省大臣こと早川紀代秀の配下にいて杉並の阿佐ヶ谷道場を根城に活動していた。
早川が長官銃撃事件発生当日の午前2時30分頃、阿佐ヶ谷道場に立ち寄ったことが確認されていたことから、事件発生直前に早川と接触した可能性もあったのである。
【秘録】警察庁長官銃撃事件11に続く
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。