「矢野くんは九州の生まれなんだってね」と身の上話を振ると、「僕は絵が好きだったので東京芸大に入りたくて受験したんですが3回も落ちましてね。それでデザインの専門学校を出た。オウム真理教のロゴマークは僕がデザインしたものなんです」と、少し嬉しそうな表情を浮かべる。

その頃には、オウム真理教の多くの教団幹部は逮捕され、尊師こと麻原彰晃も上九一色村の教団施設の隠れ部屋で5月16日に発見され、逮捕されていた。
矢野は逮捕された仲間がどうしているか気になって仕方がない様子を見せる。
栢木は、他の教団幹部への取り調べ状況がどうなっているか、新聞を持ってきては説明してやることもあった。矢野は教祖の麻原が逮捕されてからは特に饒舌になり、栢木が聞いてもいないのに、しきりに教団内部の話をしてくるようになる。
「栢木さん、尊師はやっぱ変なんですよ。信者の前では壁におでこをぶつけたりして目が見えないことを装ってるんですが、裏ではキャッチボールをしてるんですよ。おかしいですよね。
皆でインドに旅行に行った際にお腹を壊して寝込んだ時に尊師が電話をしてきて、『下痢をして大変だろう?』と言ってきたので、尊師の千里眼はやっぱ恐ろしいなと震えるような気持ちになったんです。
でも、その後仲間から聞いたんですが、俺が腹を壊したのを一緒に旅行に行った仲間が尊師に教えていたんですよ。
大体、尊師の千里眼はそんなものです」

こう豪語した矢野は、教祖麻原のマインドコントロールなどとっくに断ち切れているふりがしたかったのだろう。
矢野の無駄話は止まらなかった。

「ヘリコプターの操縦免許を取るためにアメリカに行ったのも大変苦労させられました。
日本に戻って無人ヘリコプターの操縦をやらされて墜落しちゃったんですよ。そしたら尊師に滅茶苦茶怒られましてね。それ以来尊師は私を遠ざけるようになりました」
多弁な矢野の狙いは何なのだろうか。
麻原彰晃から自分は遠い存在なんだ。自分は重要な役割を与えられるポジションにはいなかったということを強調しているように栢木や石室には見えた。
もはや矢野は饒舌を通り超して、機微に触れる話までするようになる。