食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは「麻婆豆腐」。

高級住宅街のイメージが強い東京・広尾にある、家族であたたかくもてなしてくれる中華料理店「もくもく」を訪れ、あんも豆腐も全てが一体となった一品を紹介。

広尾の商店街で100年以上お店を続けてきた、家族の歴史にも迫る。

昔ながらの店も多い広尾商店街

「もくもく」があるのは、東京渋谷区・広尾駅。東京メトロ日比谷線が走る広尾は、恵比寿と六本木に挟まれた町。

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自然豊かな「有栖川宮記念公園」も町のシンボルの一つで、四季おりおりの景色が楽しめる。

「昼間にたくさんの人が歩いています。広尾に来るのは学生以来ですね」と植野さん。

また、「昔からやっている地元に根付いた店もあるんです。今日の店も街になじんでいる」と話し、店に向かった。

家族一丸で切り盛りする中華料理店

広尾駅から徒歩3分、広尾商店街にある「もくもく」。温かみのある雰囲気で居心地もいい全15席の店内は、厨房を目の前にしたカウンター席のほか、テーブル席もある。

もともとは父・茂さんが1990年に開店した炭火焼きの店に。店の中に立ちのぼる煙から「もくもく」という名前になった。

「もくもく」人気のメニューのひとつ
「もくもく」人気のメニューのひとつ

その後、中華料理店で修業を積んだ息子の健さんが、店をリニューアルし、2016年に、新たなスタートを切った。

父・茂さんは息子に料理を託し、現在はホールの仕切り役に。娘の優さん、そして健さんの妻・悠さんも働き、「もくもく」は波多野家が一丸となって切り盛りしている。

歴史は110年!時代に合わせて商売変化

都内でも有数の、おしゃれで高級な街のイメージが強い広尾だが、江戸時代は「広尾原」と呼ばれ、原野が広がる行楽地のような場所だった。

中期になると、武家屋敷が造られ始め、多くの大名が住むにぎやかな町へと変わっていった。明治維新後には、武家屋敷の跡地を利用して、多くの大使館が造られたこともあり、広尾はセレブな街として知られるようになった。

そんな広尾で店を構える、波多野家の歴史を茂さんはこう語る。

「110年前に神奈川から出てきた。鉄之助がひいおじいさんで、(その息子の)利作が現役バリバリの25くらいの時に、出てきたんじゃないかと思うんです」

植野さんが「最初こちらに出てきて、何か商売されていたんですか?」と尋ねると、茂さんは「親戚が、白金で左官屋やっていたんです」と答えた。

世の中の動きを見極めながら商売を変化させてきた波多野家。土地柄お屋敷が多かったことから、最初は左官業を営んでいたが、茂さんの父・実さんの頃には氷や炭といった燃料を扱う店に変化する。

しかし、世の中は電化製品の時代となり、燃料の仕事も下火になってしまい、今度は実さんの妻・好子さんが洋裁が得意だったため、手芸店に。

茂さんは、さらに「終戦後、自分たちみんな手作りで洋服作ったりする時代に入りました。母がそういうのが得意でミシンや編み物をやるのが好きで、手芸品をやりました。長く、40年くらいやったんじゃないですかね」と話した。

“絶対もうかる”バブル期に飲食店へ

時代は移り変わりバブル期へ。

手芸業界が下火になったため、1990年、茂さんは炭火焼きを売りにした「もくもく」を始めた。

植野さんが「何で急に飲食に?」と尋ねると、茂さんは「先輩から、“全部教えてやるから大丈夫だ、絶対今これもうかるから”って。確かにもうかりましたね。当時はバブルの最中ですから。それで成功したけど、だんだんバブルがはじけて落ちてきて…」と振り返る。

それから高校卒業後に、中華料理店で10年以上修業を積んだ息子の健さんが「もくもく」へ。2016年に中華をメインメニューに置き、リニューアルした。

本日のお目当て、もくもくの「麻婆豆腐」。 

一口食べた植野さんは「辛さやコク味の濃さがベストバランス」と絶賛する。

もくもく「麻婆豆腐」のレシピを紹介する。