「和田毅は今シーズンをもって引退をします。振り返っても悔いのない、やり残したことのない野球人生だったと思います」。
清々しい表情で引退会見
2024年11月5日。みずほpaypayドームで行われた福岡ソフトバンクホークス和田毅投手(43)の引退記者会見。電撃的な発表だったにも関わらず、会場には多くの報道陣が集まった。パ・リーグ最年長、22年に及ぶ現役生活。自らの意思で電撃的に終止符を打った和田投手の表情には、清々しいものが浮かんでいた。
この記事の画像(9枚)今シーズンの全ての戦いが終わるまで明かさなかった現役引退。電撃的な発表となった裏には、和田投手の確固たる思いがあった。
チームあっての自分だという気持ち
「さまざまな人の考え方があるとは思いますが、優勝して引退試合とか、引退の報告をして『和田さんのために』『和田のために日本一になろう』とか、そういう空気だけには絶対したくなかった。今年、自分は、ほとんどチームに貢献できていないし、優勝したのは紛れもなくチーム全員の力だし、みんなの力だし、ファンの声援あっての優勝だと思うし、そのなかに私情を挟んではいけないなと。チームあっての自分だという気持ちでずっと戦っていた」
肘や肩の痛みで2018年は1軍登板ゼロ。その翌年『駄目ならやめよう』と引退を意識し始めたという和田投手。結果的に2019年は見事に復帰し、それ以降、実に34勝を積み上げ、日米通算165勝をマーク。そして2024年7月、ついに引退を決断した。
選手ではない立場で勉強する時間を
「体の痛みが本当にひどくて、『今年で最後』という気持ちでやっていたので、どんなかたちでもチームに貢献できるかたちで終わりたいなと(思っていた)。シーズン終盤に中継ぎで投げたときも結構、肩の痛みを抱えながら、注射を何回も打ちながら投げた部分もあった。『どんどん体がボロボロになっていってるな』というのをシーズン最後の方は投げながら感じていました。『ダメになったらやめよう』という気持ちを持ちながら毎シーズン戦っていたし、自分のなかでは『ホークスで選手としての役割が、だんだん終わりを迎えているのかな』と(思っていた)。今度は選手ではない立場でホークス、そして野球界に貢献できるというか勉強する時間を、というのがだんだん高くなって、その比率が高くなったのは今年」
清々しい表情で引退を語る和田投手。福岡に住んだ18年というのは、どんな時間だったのだろうか。
福岡に住み続けられたら
「どっか行け、と言われればしょうがないですけど、18年福岡に住まわせてもらって、福岡が大好きです。自分にとっては人生で一番住んでいるところ。ほとんど故郷といっても過言ではないところ。福岡で住み続けられたらなと思っています」
会見の最後に選手会長の周東右京選手から花束を受け取った和田投手。ただ、和田投手を労おうと駆けつけたのは、周東選手だけではなかった。
「なんで?嘘やろ?」と驚く和田投手に東浜直投手や又吉克樹投手、有原航平投手らチームメートが続々とサプライズで登場。総勢11人が会見に華を添えた。そのなかの1人、明石健志コーチは、ダイエーホークス時代の懐かしいユニホームで登場。最後の”ダイエー戦士”となった和田投手を称えた。
そしてドームの外には、引退を知り、駆け付けたたくさんのファンの姿が見られた。「22年間、お疲れ様でした」と声をかけるファンの1人1人に最後まで丁寧に対応する和田投手。その姿には自らが大切にしてきたプロ野球選手としての信念が表れていた。
「松坂世代」最後のプロ野球選手、和田投手。静かにユニホームを脱ぐ。
(テレビ西日本)