昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

阪神タイガース・西武ライオンズの主砲として活躍した田淵幸一氏。強肩強打の捕手で通算474本の本塁打を放ち、王貞治氏の連続ホームラン王を13年でストップさせた。滞空時間が長く大きな放物線を描くホームランでファンを魅了した伝説の“ホームランアーチスト”に德光和夫が切り込んだ。

巨人に約束された「背番号2」

法政大学で活躍した田淵氏は昭和43年のドラフトで阪神タイガースに入団。豊作と言われたこの年のドラフトだったが、その中でも田淵氏は特に評価が高かった。

徳光:
阪神に入団したときの話ですが、巨人の1位指名を待っていたんですよね。巨人とは相思相愛だったわけでしょ。

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田淵:
もう時効ですから言いますけど、ドラフトの前に、巨人に呼ばれて赤坂の料亭に行ったんです。川上(哲治)さんがいましたよ。「田淵君、ぜひ君に巨人に入団してもらいたいんだ。ちゃんと2番を空けて待っているから」って言われたんです。背番号、1番、3番がいて2番だけ空いてた。

徳光:
なるほど。1番・王さん、3番・長嶋さんの間だと。

田淵:
私はそのとき、「王さん、長嶋さんと一緒に野球ができる。よっしゃ、巨人だ」と、心の中で100%そう思ったの。でも、ドラフトのくじで、東映フライヤーズが1番目、それから広島、次が阪神。巨人は7番目だったんですよ。俺は3番目で阪神から1位指名。

徳光:
でも、結果的には良かったんですよね。

田淵:
私も16年間の現役生活で、阪神で10年やったけど、今だからこそ、「お前、阪神で良かったな」っていう人が多いんですよね。やっぱり“伝統の一戦”を戦うチームに入れたっていうのはラッキーですよ。

徳光:
田淵さんご自身もそう思いますか。

田淵:
そう思います。最初は憧れで、ONと一緒にやりたいという気持ちはあったけど、逆に敵に回したことによって、野球観が変わったっていうのかな。「絶対にこの人を抑えるんだ。その前でホームランを打つんだ」っていう欲が湧いてきた。

田淵:
「巨人に行っていれば良かった」っていう人も、「行かないで良かった」っていう人も十人十色でいるんですけどね。一番強烈だったのは星野(仙一)。「お前、行かなくて良かったよ。ONは超えられないんだから」って言われた。

六大学で長嶋氏超え

東京六大学野球で法政大学の主軸として活躍した田淵氏はリーグ新記録となる通算22本のホームランを放った。それまでは立教大学の長嶋茂雄氏らが記録した8本が最高で、この記録を大幅に塗り替えた。

徳光:
長嶋さんがホームランを8本打って、この記録はずっと破られてなかったんですけど、田淵さんはいとも簡単に22本打っちゃったじゃないですか。あれは何年生のときに超えたんですか。

田淵:
3年の春ですかね。8号、9号と連発で打ってね。最終的には22本打ったんですけどね。

徳光:
あの時は、私はほんとに悔しくてね。私は神宮で長嶋さんの8号を見て、立教大学に入り、「実況したい」という思いからアナウンサーの道に進んだわけですよ。
田淵さんはその8本の記録をいとも簡単に抜いて、気が付いたら22本。

田淵:
だけど僕だって、長嶋さんファンっていうのかな、長嶋さんを目標にしてましたよ。大きな山でしたからね。

徳光:
でも、その田淵さんの22本を慶應大学の高橋由伸が29年ぶりに破るわけです。

田淵:
それが法政の安藤優也(現・阪神コーチ)というピッチャーで。会ったとき、「お前、何で打たしたんだよ」って言いました(笑)。

長嶋氏は打席でズル!?

田淵:
私、キャッチャーやってるでしょ。ミスターが江夏(豊)に3三振するじゃないですか。4打席目に何するかっていうと、バッターボックスの後ろのほう、キャッチャー寄りのラインを足で消すんですよ。何でだか分かります?

徳光:
何だろう。

田淵:
(ピッチャーとバッターの距離を)18m44cmより長くするため、ズルするんですよ。バッターボックスから外れてるんですよ。「ミスター、ちょっとバッターボックスから出てますよ」って言ったら、「ああ、ごめんね」で終わりだからね。

徳光:
それは明らかに計算なわけですね。

田淵:
それに、ミットを構えてたら、たまにミスターと目が合うんですよ。インコースに構えてるかアウトコースに構えてるか、カンニングしてるんですよ。

田淵:
「ミスター、カンニングしちゃいけませんよ」って言ったら、「田淵君、何言ってんの。左目でピッチャーを見て、右目でキャッチャーを見てるだけだよ」って。すごい人だなって思って、俺もやってみたけど、できるわけねえじゃん。片方しか見えないっつうの。そんなことを平気で言うんですよ。
誰も思いつかないことをあの人はやってきた。

長嶋氏直伝の呼吸法

田淵:
オールスターのときに、ミスターに「何で息づかいが荒いんですか」って聞いたことがあるんですよ。キャッチャーしてて、長嶋さんの打席でそう感じてたんです。
そしたら、「ピッチャーがリリースしてボールを投げるときに息をスーッと入れてお腹に全部持ってくんだよ。それで、来たボールに対してフーッと吐くんだ」と。それを教わったんです。

徳光:
それをバッティングに生かしたんですか。

田淵:
生かしたんです。オールスターのとき、ベンチでミスターとしゃべると、ほんとに勉強になりました。

王氏の連続HR王をストップ

田淵:
ホームランを打つとお客さんが喜ぶじゃないですか。ここぞというときに打ったら、(スポーツ新聞の)一面を飾れるし、お客さんは喜ぶし、「酒がおいしかった」と言われる。そういう夢を与える。

徳光:
ホームランを量産するようになって、王さんと戦えるようになったって思ったのはいつ頃ですか。

田淵:
5年目くらい。37本打ってから。

徳光:
だんだん近づいていって、昭和50年についに王さんを超えるわけですよね。王さんを一つの目標にしてたんですか。

田淵:
そりゃそうよ。何でホームランが増えたかっていうと、王さんのおかげなんですよ。

徳光:
どういうことですか。

田淵:
足を上げるようになった。大学時代は全然足を上げてなかったんですよ。
「王さんは何で足上げるのかな」と思って、キャンプでまねしてみたらボールが飛ぶようになったんです。「よし、いただき。力がなくてもタイミングだけで飛ぶな」って感じてね。

徳光:
王さんはふくらはぎが異常に発達していて、その力でボールがよく飛んだという話を伺ったことがあるんですけど、田淵さんも、やっぱり足腰が強いんじゃないですかね。

田淵:
弱い、弱い。虚弱体質ですもん。非力ですよ。

徳光:
ほんとですか。田淵さんが非力だっていう話はちょっと驚きなんですが…。あれだけホームランをぽんぽん打ったのに。

田淵:
力があれば飛ばせるものじゃないんですよ。

徳光:
王さんが打席に立ってるときは、どう感じましたか。

田淵:
無言。絶対しゃべんない。しゃべるような雰囲気を持たせない。

徳光:
作らないわけだ。

田淵:
構えたら、どこを押しても倒れないんじゃないかっていうぐらい。足から根が生えてましたよ。

ノムさんに騙された!?

田淵:
1年目のオープン戦、大阪球場での南海戦。キャッチャーは野村(克也)さんですよ。
「お前が六大学で頑張った田淵か。いいよ、お前、真っすぐ打てよ。打たしてやる。明日一面飾るからな」って言うんです。「先輩ってなんでこんな優しいのかな」って思ったら、カーブを投げてきたの。
それから私は人を疑うようになった(笑)。

徳光:
プロの洗礼だ(笑)。田淵さんもそれをやったんですか。

田淵:
やらない。人がいいからダメなんです。
ヤクルトのある選手が2軍から上がってきて、「田淵さん、打たしてくださいよ。ミルク代を稼がなきゃいけない」って言われたんですよ。「そうか、じゃ、真っすぐでいいよ、打て」って言ったら、ほんまに打ちやがってね(笑)。

徳光:
それで、調べたら子供がいなかったりとかして…(笑)。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/6/11より)

【中編に続く】

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