昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
阪神タイガース・西武ライオンズの主砲として活躍した田淵幸一氏。強肩強打の捕手で通算474本の本塁打を放ち、王貞治氏の連続ホームラン王を13年でストップさせた。滞空時間が長く大きな放物線を描くホームランでファンを魅了した伝説の“ホームランアーチスト”に德光和夫が切り込んだ。
【中編からの続き】
村山氏「何を投げようが捕れ」
この記事の画像(12枚)田淵:
とにかく一番困ったのは、村山(実)さんだった。
徳光:
どういうふうに困ったんですか。
田淵:
ランナーがセカンドに行くでしょ。昔はサインがあったんですよ。セカンドランナーがバッターに球種とか伝える。
徳光:
ああ、そうか。セカンドベースからね。
田淵:
昔はうるさくなかったから。何回もサインを見てれば読める。サインがみんなバレちゃうわけですよ。「ああ、このサインは真っすぐか」とか。
それで、村山さんが投げてるとき、真っすぐのサインを出すでしょ。でも、フォークを投げてくる。今度はフォークのサイン出したのに、真っすぐを放ってくるんですよ。
田淵:
打ち取った後にベンチに戻って、「村山さん、すいません。サインが違ってるんですけど」って確認するじゃない。村山さんは「田淵、何を言ってんだ。セカンドからサイン送られたら打たれるだろう。だから俺が何を放ろうが、ちゃんと構えとけ」って。あれは、まいった。
巨人戦7打数連続HR
徳光:
田淵さんはほんと巨人戦でよく打ちましたよね。
田淵:
はい。巨人戦で打つと給料が上がったんですよ。おかしいでしょう。
私は巨人戦で7打数連続ホームランっていう記録があるんですよ。全部ホームランなんですよ。
昭和47年4月26日、後楽園球場で行われた巨人戦で、田淵氏は6回に3号ホームランを放つと、8回・9回と続けざまに4号・5号。5月9日に甲子園で行われた巨人戦でも死球を挟んで3打数連発。翌10日の第一打席では高橋一三投手からレフトスタンドへ12号2ランを放ち巨人戦7打数連続ホームランを達成した。
徳光:
やっぱり対巨人という意識は相当ありましたか。
田淵:
例えば、堀内(恒夫)がピッチャーだとすると、その前の晩にイメージするわけですよ。「堀内やったら、投げるとき肩であごが見えなくなったらカーブ、あごが見えたら真っすぐ」。そういうことをイメージする。案の定、その結果が出るわけですよ。
私はホームランを474本打ってる中で、堀内がナンバーワンです。
田淵氏の投手別本塁打数では、1番目が堀内恒夫氏で18本。2番がカミソリシュートを武器に大洋で活躍した平松政次氏の15本。3番目が広島で活躍した“完全試合男”外木場義郎氏の14本だ。
徳光:
最初の打席でいきなり三球三振した平松さんを打ってるんですね。
田淵:
ほんとだね。
徳光:
すごいな、外木場さんからも打ってるんだ。
田淵:
外木場さんはね、デッドボールをやられたからね。
昭和45年8月26日、田淵氏は広島・外木場義郎投手から頭部にデッドボールを受け昏倒、一時、生死の境をさまよった。このデッドボールをきっかけにヘルメットに耳当てがつくようになった。
徳光:
田淵さんにとっては、あれはやっぱり大きな出来事でしたよね。
田淵:
2年目でしたよ。何て言うのかな、あれがなかったら、もっと試合に出てたし、もっとホームランを打ってたし…という反省はしてますけどね。でも、それはしょうがないですよね。
巨人V9阻止寸前で…
徳光:
阪神時代での思い出は色々あると思うんですけど、残念だったのは優勝できなかったことですかね。
田淵:
6回も2位になってね。巨人のV9時代だもん。
あのときに勝ってたらなぁ…という“たられば”が多かったね。
昭和48年のペナントレース、阪神は2試合を残してマジック1とし、あと引き分け一つで優勝だった。しかし、ナゴヤ球場で中日に4対2で敗れてしまう。勝ったチームが優勝という甲子園で迎えた最後の大一番でも巨人に9対0と大敗。巨人がセ・リーグV9を達成した。
田淵:
あと引き分け一つで優勝ってなったときのナゴヤ球場。徳さんも覚えてるでしょ。
徳光:
星野さんでしょ。
田淵:
そうですよ。星野に対してね、「お前、俺たちに優勝させてくれるよな」と思うでしょう。ところが、みんな打てないんですよ。
徳光:
それは阪神の選手側の気持ちで打てなくなっちゃったわけでしょ。星野さんを打てなかったわけじゃないんですよね。
田淵:
そういうこと。後で星野に聞いたら、「何言ってるんだ。俺は打たせてやろうと思って、甘いボールばっかり放ったんだよ」って。みんなガチガチでね、全然打てなくてね。
セカンドの高木守道さんは星野に、「お前な、こんな甘いボールも打てないチームに優勝さすな」って言ったって。
田淵:
それで全部おじゃん。宿舎に帰ったら、優勝祝賀会の準備があってね。俺は無言で帰って、がっくりきて1週間は外に出られなかった。優勝してたら変わってたかもしんないね、人生。
徳光:
優勝してたら、どんなふうに人生が変わってたと思いますか。
田淵:
トレードがなかったかもしんない。ないと思う。
徳光:
ないですね。阪神の監督になってたでしょうね。
田淵:
いやぁ、どうかなぁ。
深夜1時のトレード通告
昭和53年のオフ、阪神の田淵氏、古沢憲司氏と、この年にクラウンライターから球団を譲渡された西武ライオンズの竹田和史氏、若菜嘉晴氏、真弓明信氏、竹之内雅史氏との間で2対4の超大型トレードが行われた。阪神の顔であった田淵氏のトレードは、阪神ファンのみならず日本中の野球ファンを驚かせた。
徳光:
あのトレードは田淵さんにとってはどうだったんですか。
田淵:
最初は腹立ちましたよ。ショックもショック。
夜の11時か12時近くになって、パジャマに着替えて寝ようと思ったら電話がかかってきた。タイガースの社長からで、「すぐ、ホテル阪神へ来てください」。向かってる車の中で「もうしょうがねえ、多分トレードだ」と考えて、着いたのは1時前ぐらい。「まぁ、いいや、誰もいないだろうし」と思ったら、カメラマンも記者も全部いるんですよ。「何や、これ」って思った。部屋に入って当時の社長としゃべって、「分かりました」って言って帰ったの。それがトレードなんです。
徳光:
西武に移籍することが決まったときに、田淵さんは掛布(雅之)さんに素晴らしい言葉を送ってるんですよね。掛布さんに出ていただいたときに、しみじみと言っていました。
徳光:
「俺は縦縞のユニホームを脱ぐ。お前は江夏とか俺のように途中でユニホームを脱ぐなよ。最後まで縦縞のユニホームを着てなきゃダメだぞ」って。掛布さんにはタイガースで引退してほしいっていう思いがあったんですか。
田淵:
そうそう。その年は最下位だったし…。
シーズンが終わった後に掛布と飲みに行ったんですよ。そのとき、俺が前で掛布が後ろで歩いてたんですよ。そしたら、「こらっ、最下位のくせに飲みに行くんじゃない。遊びに行くんじゃねえ」とかボロクソに言われて。掛布は後ろで分かんなかったんですよね。後で、「中心選手になったらこうやって言われるから、しっかり練習して、優勝目指して頑張れよ」って言ったのが最後。トレードで俺が西武行くとき。
徳光:
よくそういう言葉が出ましたね。
田淵:
掛布が好きだったから。ものすごくかわいいやつだったから、バットをあげたりとかもしてた。俺は好きだったですよ。
阪神も好きだったですし。
徳光:
阪神も好きだったんですね。
田淵:
阪神も好きだった。
盟友・星野仙一氏との絆
盟友にして親友である星野氏の田淵氏との通算対戦成績は打率3割0分1厘、9本塁打、16三振。
徳光:
ホームラン9本もそうですが、打率がすごいですね。
田淵:
最初に打ったホームランは、甲子園中段の出入り口にポコーンと入ったんですよ。後で星野に、「よう飛んだな」って言ったら、「馬鹿野郎、お前が振ったところに俺は投げたんだ」って。
そういうやつなんです。絶対負けたっていう言葉は出ない。
2002~2003年の2年間、星野氏は監督として阪神を指揮し、2003年にはリーグ優勝を果たす。このとき田淵氏はチーフ打撃コーチとして星野氏を支えた。
徳光:
プレイヤーとしてもそうでしたけど、お互いに首脳陣として選手を育てたっていう意味でも、まさに戦友になるわけですかね。
田淵:
ほんと、彼と会ってる時間が長かったし…。
星野が中日の監督をやめたとき、「ブチ、縞のユニホーム着るぞ」って言われたんです。「えっ、タイガース?」。「そうよ」。「分かった。行こう」って二つ返事。「給料、契約金がいくら」とか何にも聞かずに、もう全て星野に任せた。一度、一緒にユニホーム着てやりたかったから。
やっぱり星野もね、試合が終わった後って孤独じゃないですか。俺はいつも部屋へ行って一緒に弁当食いながらね…。その時だけは同級生になるんですよ。
ただ、彼がタイガースのユニホームを着て私がコーチやったとき、私にとって彼は「仙ちゃん」から「監督」になったんですよ。それ以来、死ぬまで「監督」。「仙ちゃん」って呼んだのは死に顔を見たとき。言葉っていうのは大事だから。
徳光:
星野さんは、田淵さんがそういう気持ちで「監督」って呼んでることをご存じだったわけでしょ。
田淵:知ってる。1つ言ったら10分かるんですよ。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/6/11より)
「プロ野球レジェン堂」
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