1994年、殺人事件の容疑者としてハワイに移送された、福迫雷太受刑者(59)が、ハワイにある刑務所の中で首を刺された状態で見つかり、その後、死亡が確認されました。
この記事の画像(14枚)地元メディアによると、同じ部屋に収監されていた、38歳の受刑者が刺したとみられています。
「必ず無実で」政界にも通じる霊感占い師が遺体で見つかる
死亡した福迫受刑者が、30年前に起こしたとされるのが、「天才霊媒師」の異名で、当時、日本で一世を風靡した霊感占い師・藤田小女姫さん親子殺害事件です。
1994年、藤田さんはホノルル市の中心部にあるマンションで起きた火災現場で、胸に銃弾を受け死亡していました。
当時の報道によると、小女姫さんの名が一躍、世に広まったのは1960年のこと。日米安全保障条約の批准をめぐって、当時の岸信介首相から相談を受けたといいます。
小女姫さんは、「安保条約は通るが、通ったときに岸内閣はない」と予言し、これが的中。以後、小女姫さんは、政財界に多くの顧客を抱えることになりました。
1972年に起きた“角福戦争”では、田中新内閣の発足を的中。その後、息子とハワイに移住した小女姫さん。1983年に帰国した際に出演した、「3時のあなた」ではハワイにいた理由をこう語っていました。
藤田小女姫さん:
そうですね、理由っていうのは、どういうふうに説明していいか…。なんかある時、人間って時々こう、どこか行ってみたいなって思いますでしょう?でも、なかなかみんなできないですよね。それを私が実行したまでで…遠くへ行きたい。
しかし、1994年2月、悲劇が親子を襲います。
小女姫さんの部屋から火災が発生、現場で見つかったのは彼女の遺体でした。さらに、近くのホテルの駐車場に止められた車からは、息子・吾郎さんの遺体が…。
一体、誰が何のために親子を殺したのか?
ホノルル警察が調べを進めること1週間、捜査線上に浮上したのが、福迫受刑者です。
1994年8月に成田空港からハワイに移送される際、福迫受刑者は「必ず無実を主張します」「必ず戻ります。無実で」と話していました。
裁判でも一貫して無実を主張しましたが、事件から約1年半後の1995年8月23日、裁判所は小女姫さん親子殺害の罪で、福迫受刑者に終身刑を言い渡しました。
このとき、福迫受刑者が口にしたのは…。
福迫受刑者(当時)「この事件に圧力をかけている人たちに言いたい。私は誓って何も話さないし、何もしない」
これは一体、誰に向けたメッセージだったのか…。それから29年後、獄中で死亡した福迫受刑者。事件をめぐる謎が解明される日は来るのでしょうか。
獄中で起きた殺人事件
――獄中で刺殺ということが考えられないのですが
若狭勝弁護士:
通常はそうですよね、道具やなにかもどうして手に入るのか、あるいはかなり狭まれた空間ですから、そういう中でどういう動機のもと、どういう形で犯行に及んだのかなどは普通では考えられないと思うんですけども。
ただ、実際、日本においても刑務所の中で殺人事件というのは起きることは、本当にまれですけど、ありうるんです。つい最近も、刑務所の職員に対して、ノミか何かで刺した殺人未遂事件が起きましたし、刑務所の中だからむしろ普通の社会より安全だろうと、犯罪とは無縁だろうと思っているとそうでもないと。それが今回ハワイで起きたと。
――完全に隔離されている獄中での犯罪なので捜査は進みやすい?
そうですね、少なくとも関係者や人間関係というのはかなり把握されやすいし、武器をどのような手段で入手したのかという点は1つ問題になってくると思います。
(めざまし8 10月16日放送)