食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは「ねばねば丼」。

神泉にある海鮮居酒屋「游魚 和田丸」を訪れ、ご飯の上におくら、納豆、長芋のネバネバ3種混ぜを敷いて刺身を盛り付けた一品を紹介。

新鮮なマグロを特製漬けダレに漬けた「薬味たっぷり漬け」のレシピも紹介する。

 “円山芸者”でにぎわった神泉の海鮮居酒屋

「游魚 和田丸」があるのは、東京渋谷区・神泉駅。「神泉は渋谷から近い、お店がたくさんあるところ。この番組でも何回も訪れています」と植野さん。 

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「もともと花街で円山町には“円山芸者”という芸者さんがたくさんいました。“芸者階段”と言われる芸者さんが歩きやすくなっている段差の低い階段もあります。

今はもう少なくなっていますが、大正時代には400人以上の芸者さんがいて花街は賑わっていたようです」と話し、店へ向かった。

ランチは海鮮丼や魚定食、夜はお酒に合う魚メニューが豊富

神泉駅から徒歩2分、路地の“芸者階段”を上がったところにある「游魚 和田丸」。

秘密基地のような“狭い扉”をあけると、店内はテーブル席をはじめカウンター席も充実している。

「游魚 和田丸」2代目・鈴木良さん
「游魚 和田丸」2代目・鈴木良さん

厨房で腕を振るうのは、2代目店主・鈴木良さん。

ランチは海鮮丼や魚定食、夜もお酒にあう魚メニューが充実し、幅広い年齢層の客が足しげく通う人気店だ。

塩とごま油、とろろを刺身でに混ぜ合わせた海鮮塩ユッケ丼や、新鮮な刺身とぶりの照り焼きがセットになった刺身定食などが人気だという。

“人が集まる場所を自分で作りたい”と3カ月で退職

1998年、鮮魚店で20年以上働いていた初代店主、和田さんが開いたのが「游魚 和田丸」。

自分の名前に、船によくある“丸”をくっつけて命名したそう。

2代目店主の鈴木さんは大学卒業後、営業職に就いたが「人が集まる場所を自分で作りたい」と、3カ月で退職。飲食店を始めることを目指した。

それから鈴木さんは「友人の紹介で和田さんに会わせてもらって」と、友人から和田さんを紹介してもらったことから、この店で修業を開始する。

店主の鈴木さんは、お店で出す魚を自分で釣ったりしているという
店主の鈴木さんは、お店で出す魚を自分で釣ったりしているという

植野さんが「どうでしたか?実際に働いて毎日いろいろな魚料理を作らなきゃいけませんが…」と尋ねると、鈴木さんは「毎日楽しくてしょうがなかった。魚を触らせてもらって、日に日に三枚おろしが上手くなっていったり…」とうれしそうに振り返る。 

初代店主が引退…店を引き継がせてください!

和田さんの元で働き出し10年経ったある日のこと、和田さんから「そろそろ引退して店を閉めようと思っている」と打ち明けられる。

「え!」と驚く鈴木さんだったが、「それなら店を引き継がせてください」と申し出たという。

「その時、和田さんはどんな反応でしたか?」と植野さんが聞くと、「大将は“う~ん”みたいな反応でしたね。言ってから3年ほどかかかりました」と鈴木さんは振り返った。

そして2018年、勇退した初代和田さんの代わりに鈴木さんが店を引き継いだ。

「和田さんに言われた言葉や教えられた言葉、今でも守っている教えなど印象に残っていることはありますか?」と植野さん。

鈴木さんは「仕入れのことで、『その日に出せるぶんだけ入れて、毎日足りないくらいで営業しろ』とは言われました」と和田さんの教えを語った。

大好きな魚をおいしく食べてほしい。そんな思いで鈴木さんの探求は続いていく。

本日のお目当て、游魚 和田丸の「ねばねば丼」。

一口食べた植野さんは「味のバランスがちょうどいい、魚と一体になって旨味をしっかり感じられる」と絶賛する。 

游魚 和田丸「ねばねば丼」と「薬味たっぷり漬け」のレシピも紹介する。