LGBTなど性的マイノリティを取り巻く課題が取り沙汰されている昨今。
生物学者の池田清彦さんは「日本は明治以前、あきらかな差別はなかったものと思われる」としている。
著書『多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告』(扶桑社新書)では、そもそも多様性とはなにかを皮切りに、そんな社会における理想的で最低限のルールについて考えを示している。
今回は性的マイノリティの視点から、日本におけるジェンダーの考えが明治以前と以降でどのように変化したのか、一部抜粋・再編集して紹介する。
平安期までは性的マイノリティも常態だった
日本においても明治以前は、性的マイノリティに対するあからさまな差別はなかったものと思われる。
例えば平安時代後期に作られた『とりかえばや物語』は、関白左大臣に男女一人ずつの子どもがいて、男児は内気で女性的な性格、女児は快活で男性的な性格であったため、父親は男児を女装させて女性として育て、女児は男装させて男児として育てたところ、2人とも社会的にうまく立ち回り、出世街道を上っていった、という話である。
最終的にはすべてがばれてしまい、本来の身体的な性に戻ってハッピーエンドを迎えるという筋立てではあるが、2人のトランスジェンダー的資質を忌むべきこととしては描かれていない。
日本では同性愛も常態で、特に女色を禁じられていた僧侶は、同性愛に走る人が多かったが、社会的秩序から外れることとは見なされていなかった。
明治以降、糾弾する傾向が強くなる
また、武将の傍に控えていた小姓は、時に男色の対象とされたが、これも武士の間では一般的なことであり、特にネガティブなことと考えられていたわけではない。
江戸時代の大奥ではめずらしくなかった女性の同性愛もしかりである。

おそらく当時は、性的マイノリティも含めて、性的な行為をおおらかに楽しむ風潮が強かったのだろう。
ところが明治以降、キリスト教が解禁され、知識人の中にキリスト教的な性倫理を持つ人が現れると、性的マイノリティを異常で醜悪として糾弾する傾向が強くなる。