生物多様性という言葉をよく見聞きするが、この言葉について深く説明できるだろうか。

生物学者の池田清彦さんは、多様性を尊重するあまり、多様性疲れや不要なルールが増えていくことにつながるという。

著書『多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告』(扶桑社新書)では、改めて多様性とは何かを解き、その社会における理想的な、必要最低限のルールについて考えを述べている。

そこからそもそも「生物多様性」という言葉が生まれた経緯について、一部抜粋・再編集して紹介する。

政治を動かすためのコトバだった

多様な生物が存在するということはすべての人にとって昔から自明だったけれども、その根拠はイデアあるいは神による創造から、「進化の結果」へと変遷してきた。

ただし、「多様な生物が存在すること」の意義やその重要性などについて一般に議論され始めたのは、実はつい最近である。

1970年代から80年代にかけて多くの生態学者たちは、人類の活動によって種の絶滅や生態系の改変が進んでいることを認識していたので、このままでは生物学的多様性(Biological Diversity)が失われかねないという危機感を募らせていた。

しかし、彼らにそれを阻止するすべはない。

科学者の仕事というのはあくまでも、事実を明らかにすることであり、その事実に対してアクションを起こすのは政治の仕事であるからだ。