先に述べた『とりかえばや物語』も、藤岡作太郎らの明治期の一部の国文学者からは「嘔吐を催す」と酷評された。

そして近年、LGBT解放運動が始まるまでは、そのような考えを支持する人は一定数いたと思う。

差別の解消を後押ししたグローバル化とボーダーレス化

もちろん多くの差別は、時代が進むとともによくないものとして糾弾されることになり、基本的には解消の方向に向かっている。

人々の意識からすべての差別意識がなくなったとまでは言い切れないし、同性愛を禁じる国も残ってはいるけれど、奴隷制度のような極端な身分制度はもちろん現在では存在しないし、男性と女性は平等となり、白人も黒人も黄色人種もすべては等しき人間だと認められる、というのが世の中一般の傾向なので、そうではないごく一部の国は批判の対象になる。

「人は原則的には皆、平等である」ということに対しては異議を唱えるべき根拠は薄いので、現代ではそうした思想が広く受け入れられているわけだ。

それを後押ししたのは情報のグローバル化とボーダーレス化だろう。

行き着く先は「人間すべて平等」

例えばずっと奴隷の立場に甘んじていた人が自由人と同じ情報を得て、同じ理解度を有すれば、自分たちがなぜ奴隷の立場に甘んじていなければならないのかと疑問に思うのは当然だ。

また教育が進むに従って、被差別者は差別者との平等性を強く意識するようになっていく。