そうしたなか1986年に、「危機にある多様性」をテーマにした大規模なナショナル・フォーラムがアメリカで開かれた。
その会議で生態学者のウォルター・G・ローゼンが、それまで使われていた「Biological Diversity(生物学的多様性)」というコトバの代わりに「Biodiversity(生物多様性)」というコトバを提唱したのである。
もちろんローゼンも、立場的には単なる科学者の一人だったが、彼はなんとかして政治を動かそうと考えた。そのためにわかりやすいスローガンが必要だったのだ。
論理を抜いて「情念」に働きかけ
日本語にすると、「生物学的多様性」と「生物多様性」はとてもよく似たコトバだが、Biological DiversityとBiodiversityを比べてみればニュアンスの違いがよくわかる。
すなわちローゼンは、のちに自身もそう振り返っているように、Biological Diversityからlogical(論理)を抜くことで、情緒が入り込む余地を作ったわけだ。

「生態系の改変や希少種の絶滅を阻止する」という目的を達成するために一般の人々の情念に働きかけて政治を動かそうとしたのである。
要するに「生物多様性」というのは、そもそも科学的なコトバではなく、政治的なコトバなのだ。
「あいまいさ」が普及につながる
ローゼンの思惑通り、このフォーラムの開催は新聞やテレビでもさかんに報道され、「生物多様性」というコトバも一躍ポピュラーになった。
そういう経緯で生まれた「生物多様性」は、論理をとっぱらった一種のキャッチコピーのようなものなので、その定義は極めてあいまいだ。ローゼンも含め、多くの生態学者たちは、「なんでもありの漠然とした定義」だという認識を持っている。