食の雑誌「dancyu」元編集長/発行人・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「四川風冷やし中華」。
新橋にある中国料理店「四季ボウ坊」を訪れ、旨味、食感、清涼感が味わえる暑い時期ピッタリの一品を紹介。甘酢の醤油ダレと辛みダレ、しっとりジューシーな蒸し鶏の調理法も学ぶ。
新橋にあるボリューム満点な中国料理店
「四季ボウ坊」があるのは、東京・新橋、サラリーマンの街。
「新橋は中国料理系の店がたくさんあって、昼から夜まで通しでやっている店がたくさんあります。いつ来てもご飯も食べられるし、お酒も飲める」と植野さん。
ランチや仕事終わりの一杯など、飲んで食べてのニーズに事欠かない、新橋の激戦区。中でも、中国料理店は、とりわけ多く賑わっている。
植野さんは「お昼や夜だけではなく、午後の仕事しているような時間帯から飲んでいる人も結構います」と話し、お店へ向かった。
中国出身夫婦が営む、路地裏食堂のような店
駅徒歩3分、新橋でもとりわけ多くの飲食店が密集するエリアに看板を掲げるのが、「四季ボウ坊」。店内の雰囲気はまるで中国の路地裏の食堂だ。
サービスを担当する郭文玉さんと、料理を担当する林友貴さんが夫婦で営む店。
この記事の画像(9枚)常に大賑わいの店内では、おいしそうな料理がテーブルへ次々と運ばれていく。味は日本人好みにアレンジしており、どれもこれもボリューム満点。
さらに、郭さんからは「杏仁(あんにん)豆腐サービスしまーす」と声がかかるなど、たまに無料のサービスがあるという。まさに、新橋で働く人たちの味方だ。
中国で出会った2人が結婚し、独立
2000年にオープンした「四季ボウ坊」。
ともにお茶どころとして有名な中国南東部、福建省の出身の郭さんと林さん。
植野さんが「どこで出会ったんですか?」と尋ねると「出会ったのは中国」と郭さん。さらに「日本に来たのはそれぞれいつぐらい?」と尋ねると郭さんは「92年」、林さんは「私は95年」と答えた。
日系3世の郭さんは、両親の都合で日本へ向かい、その3年後、林さんも結婚を機に来日したのだそう。
郭さんは「最初、横浜中華街で何も話もできないから、やること何もないから中華街のお店でエプロン付けて『いらっしゃいませ、どうぞ~!』とやっていたのが始まり。日本語出来なくても、片づけとかで仕事できちゃうんですよ」と当時の事を語った。
植野さんは「このお店を開こうと思ったきっかけは?」と尋ねると、林さんは「私の友達に誘われた」と答えた。中華街で雇われ料理人として5年修業したのち、友人と独立。
2000年、「四季ボウ坊」を開店。子宝にも恵まれ、前途洋々かと思いきや、友人が去り、夫婦で店を営むことになったという。
林さんは当時の苦労を「最初は苦しかった」と語り、郭さんも「経験ないからあまり分からない」と思い返す。
オープン当初は、鳴かず飛ばずで、稼ぎを少しでも増やそうと、寝る間も惜しんで、働く日々だった。
するとある日、2人の運命を変える、1本の電話がかかってきたという。
店を救ったのはテレビ局からの1本の電話
それはテレビの取材の話だった。内容は、郭さんが「芸能人に似ているから紹介させてほしい」というもの。それを聞いた林さんは「へぇ、面白そうじゃん!」と取材を引き受けた。
お客さんが、そっくりと口を揃える芸能人とは、いったい誰なのか。それはオアシズの大久保佳代子さんだった。
郭さんは当時を振り返り「お客さんがいつも『大久保さーん、メニュー持ってきて』『大久保さーん、ビール』とか言ってくる。誰だろう?良く分からないけど…(と思っていた)。でも、それから大久保さんのものまねで『笑っていいとも!』とかにも参加しました」と懐かしむ。
そこからだった、お客さんが押し寄せるようになったそうだ。
“大久保ママ”こと、郭さんの笑顔の絶えない接客、そして、林さんのつくる確かな料理がメディアを見て訪れる、一見さんの心と胃袋をつかみ、常連さんが一気に増加。味と値段にはうるさい、新橋のお客さんも認める、大繁盛店となった。
植野さんが「この先どんなお店にしたいですか」と尋ねると、郭さんは「今の状態で健康に注意しながら10年とか15年やりたい」と話した。
本日のお目当て、四季ボウ坊の「四川風冷やし中華」。
一口食べた植野さんは「具材の豊富さと辛みが全体のバランスを持ち上げている、食べているうちに食欲が増していく」と絶賛。
四季ボウ坊「四川風冷やし中華」のレシピを紹介する。