食の雑誌「dancyu」元編集長/発行人・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「牛肉と野菜のオイスターソース炒め」。
浅草橋にある中国料理店「上海ブラッセリー」を訪れ、野菜の甘みやお肉のうま味が溢れ、お酒にぴったりの一皿を紹介。肉は柔らかく、野菜はシャキシャキにする秘訣を学ぶ。
飲食店の宝庫・浅草橋にある中国料理店
「上海ブラッセリー」があるのは、東京・浅草橋駅。
「浅草橋はこの番組でもう5回くらい来ていません?それくらい宝庫なんですよ。いろいろなお店が高架下からずっと飲食店が並んで、ありとあらゆるお店があります」と植野さん。
この記事の画像(12枚)続けて、「この辺りは問屋街がありまして、浅草にかけていろいろな問屋があります。僕の勝手な憶測ですけど…問屋の人は中華が好き!」と話し、お店へ向かった。
無料チャーハン目当ての常連客も
浅草橋駅から徒歩4分、上海ブラッセリー。
「ブラッセリー」は、フランス語で「気軽に食事を楽しめるビアホールや酒場」という意味。「美味しい中国料理とお酒を気兼ねなく楽しんでほしい」という思いが込められている。
オーナーは厨房にも立つ、平野剛生さん。ここの料理は毎日食べても飽きない、という常連さんも多い。
そして、ランチで麺を頼むとなんと、チャーハンが無料でついてくる。
そのチャーハンは、紅しょうが入り。もともと賄いから生まれたメニューで、細かく刻んだ紅しょうがを、しっかり水分を絞ってご飯と一緒に炒める。
大きさも4つから選ぶことができる、店の1番人気だ。
このチャーハン目当ての常連客も多いのだという。サービス満点の上海ブラッセリーは、浅草橋でもうすぐ30年を迎え、長年愛される店だ。
客商売のイロハも先代に教えられ料理長に
1995年に開店した「上海ブラッセリ―」。
実は、平野さんはオーナーとしては2代目。先代は、泰江卓朗さん。現在の店から5分ほど離れた場所に「上海ブラッセリー」はあった。
そこで平野さんの人生を変える出会いが起きた。
千葉県船橋出身で、地元の高校を卒業した平野さん。しかし、「ずっと何もやることがなく、夢もなく、そこにバイトで入ったのが僕。面接した時に“みそラーメン食べていけ”って言われまして、その後“明日から来い”って言われたのが始まりです」と平野さんは振り返る。
アルバイトからスタートし、最初は失敗の連続だった。
しかも平野さんには一つ苦手だったことがあるようで、平野さんの「僕、人としゃべれなかったんです、無口で」という発言に植野さんは「噓でしょ!」と驚く。
今は克服しているという平野さんは「先代にいろいろと優しく教わりました」と明かした。
極度の人見知りだった平野さんは、人前に出ると、緊張してしゃべることが出来なかったそう。
しかし、そんな平野さんに対し、先代の泰江さんは決して怒ることはしなかった。
結婚し子供も生まれ、家族を守るため、平野さんは料理も接客も一生懸命努力し、29年間泰江さんのもとで働き、客商売のイロハも教えられ料理長にまでなった。
引退を機に店を譲られ2代目店主に
そして今から1年前、思わぬ事態が起きる。
泰江さんから「平野くん、俺ももう年だ。 引退するよ。 そして店は君に譲るよ!」と思わぬ提案を受ける。
平野さんは「え…?」と困惑するも、泰江さんは「君なら絶対、大丈夫!!」と激励する。それを受けた平野さんは「分かりました。や、やらせてください!」と決断した。
泰江さんは店が区画整理で移転するタイミングで引退し、平野さんは店を全て引き継いだ。
植野さんが「言われた時、どう思いました?」と尋ねると、平野さんは「不安でした。経営もしていかなければいけないし、全体を見なきゃいけない。でもここがチャンスなのかなと思いました」と答えた。
しかしなぜ先代は店を平野さんに譲ったのだろうか。「自分の親といるよりも時間が長かったですからね」と平野さん。
「じゃあ、先代にとっては息子みたいな感じだったのかもしれないですね」と植野さんが応じると、平野さんは「お父ちゃんですね」と答えた。
先代の泰江さんには子供がおらず、そのぶん平野さんを実の息子のように可愛がってくれたそう。師匠から受け継いだ大切な店を平野さんは「みなさんが、気軽に飲んで食べて寄ってくれる店にしたいです」と夢を語った。
本日のお目当て、上海ブラッセリーの「牛肉と野菜のオイスターソース炒め」。
一口食べた植野さんは「オイスターソースで炒めると深い味になる、それぞれの食材の味が立つ」と称賛。
上海ブラッセリー「牛肉と野菜のオイスターソース炒め」のレシピを紹介する。