世界遺産への登録が決まった佐渡島の金山。世界遺産の登録に向けた活動から28年…悲願成就に地元は歓喜に包まれている。様々なハードルを乗り越えて掴んだ世界遺産登録。その歴史を振り返る。
1998年から活動開始 「寝ても覚めても世界遺産」
機械化される前の江戸時代から質の高い金銀を世界有数の規模で産出し、幕府の財政を支えた佐渡金山。
この記事の画像(14枚)世界遺産登録を目指す地域の活動は1990年代に遡る。2006年には県と佐渡市が国内候補として登録の前提となる暫定リストへの記載を文化庁に提案。当時の泉田知事は「起きても世界遺産、寝ても世界遺産、お風呂入っても世界遺産」と語るほど、世界遺産への思いは募っていた。
一時は先に鉱山遺跡として世界遺産に登録されていた島根県の石見銀山と統合する形で暫定リストに記載する方針が決まったが、島根県側の反発もあり、見送りに。2010年に単独で暫定リストに記載されるも石見銀山との差別化を図る必要に迫られた。
それでも時間をかけながら構成資産を見直し、「金」の生産体制に価値を絞り込むなど関係者が努力を重ね、2015年、国に対し、暫定リストの中から本登録に向け、ユネスコに推薦するよう推薦書の原案を提出。
その後、4年連続で国内のライバル候補に敗れたほか、新型コロナウイルスの影響で審議が先送りされるなど異例の事態も経て、2022年、ついに世界遺産候補としてユネスコへと推薦される。推薦書の再提出などを経て今年ようやく登録のチャンスが回ってきたのだ。
歴史的な背景を理由に韓国が反発
大きなチャンスを迎えた一方で、その歴史を巡り火種も抱えていた。
韓国が戦時中の朝鮮半島出身の労働者について「強制労働させられていた」として世界遺産登録を目指す動きに反発。
花角知事は「歴史認識の問題は世界遺産の価値の議論とは別の話」と話し、世界遺産としての推薦範囲を江戸時代までに絞っているとして戦時中の歴史と遺産の価値については別問題であるとの姿勢でPR活動にも力を入れてきた。
しかし、今年4月、花角知事の元を訪れた韓国のユンドクミン駐日大使は朝鮮半島出身者が働いていた時期を含め全体の歴史を表示するよう求めた。
現在、史跡佐渡金山ではその歴史を振り返る年表で朝鮮半島出身者が働いていたことに短く触れているものの、それ以上の詳細な記述はない。
こうした中、6月にユネスコの諮問機関イコモスは「情報照会」とした勧告の中で配慮を求める「追加的勧告」として江戸時代のあとも含む全体の歴史を説明・展示することを盛り込んだ。
「歴史全体を反映」韓国が登録に合意
佐渡金山の登録可否を審議する世界遺産委員会の委員国には韓国も含まれていて登録の実現に向け、この歴史問題への対応と韓国との協議がカギを握っていた。
韓国は2015年に世界遺産登録された明治日本の産業遺産を巡っても強制労働があったと主張し、その後日本は歴史を説明する施設を設置した経緯がある。アジア人初のユネスコ事務局長を務めた松浦晃一郎さんは「明治日本の産業遺産の時に受け入れているわけで先例に互い対応する必要がある。すべて受け入れるのであれば全会一致で採択されるのは間違いない」と指摘する。
そして、7月26日、韓国外務省は日本が歴史全体を反映すると約束したことなどを理由に「登録が予想される」と述べ、佐渡島の金山の登録に同意する考えを明らかにしていた。
全会一致で世界遺産への登録が決定
迎えた7月27日の世界遺産委員会。佐渡島の金山は全会一致で世界遺産への登録が承認された。数々のハードルを乗り越え、実現した「佐渡島の金山」の世界遺産登録。
その歴史的価値を世界に発信するだけでなく、世界から注目される効果を一過性のものとせず、県全体へと波及させるための取り組みが今後求められそうだ。
(NST新潟総合テレビ)