「一体いつになれば連絡がくるんだ…」

中国の最も重要な会議の1つである全人代(全国人民代表大会)の開幕が近づく中、多くのメディア関係者は痺れを切らしていた。

それはすでに開幕まで1週間を切っていたものの、取材に必要な記者証の配布時期や開幕式当日の入場時間など、詳細が全く発表されていなかったためだった。今年の全人代取材は5年ぶりに中国に駐在していない外国記者の取材も認められ、事前申請している記者の数は3000人を超えるなど注目が高まっていたにも関わらずだ。

記者証の受け取りは“翌日のみ”代理は認めず

全人代開幕まで4日前となった3月1日。ようやく中国当局から記者証の受け取り方法について連絡が入った。その内容は「翌日2日の午前10時過ぎから午後2時までに北京市の指定された場所に本人が直接受け取りに来ること」というものだった。

この連絡から受け取り期限まではすでに24時間を切っていて、これでは北京在住の記者ならまだしも、地方にいる記者や外国にいる記者にとってはほぼ不可能だった。多くのメディアはこれまで何の情報も出されていなかったためまだ北京に来ておらず、取材を予定していたメディア関係者からは怒りにも近い困惑の声が次々にあがった。

その後、メディア側から中国当局に対して「柔軟な対応を求める」と要請した結果、別日でも受け取りができるようになったが、一部の日本メディアで働く中国人スタッフには申請したにも関わらず記者証が配布されないということも起きるなど、混乱ぶりが目立った。

開幕式当日、数時間前から並ぶ報道陣(3月5日)
開幕式当日、数時間前から並ぶ報道陣(3月5日)
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午前6時過ぎ全員で“ダッシュ”

“ドタバタ劇”はこれだけにとどまらなかった。記者証は無事に受け取れたものの、開幕式当日の会場入場時間はまだ分からないままだったからだ。

今年は外国記者の取材も認められていることから取材するメディアの数は例年以上に増加していた。このため撮影場所を確保するために熾烈な場所取りが発生することが予想され、何時から会場に入れるのかは非常に重要な情報だったが、結局、当日になっても正式に発表されることはなかった。そうなると、あとはできるだけ早く並ぶしか選択肢はない。

人民大会堂の入り口で待つ報道陣(3月5日)
人民大会堂の入り口で待つ報道陣(3月5日)

開幕式が始まる3月5日の午前6時。みぞれが降る中、人民大会堂周辺にはすでに多くのメディアが集まっていた。

さらなる混乱が起きたのは午前6時15分ごろ。突然何人かの記者が別の場所に向かって走り出したのだ。何事かと思い慌てて聞くと、別の場所から早く会場に入れるという話だった。その“噂”は瞬く間に広がり、各メディアの記者が一斉に走り出した。この情報がどこから出たのか、また正式な情報なのかは不明だが、並んでいた記者らは「自分だけ遅れるわけにはいかない」と先頭の記者についていった。

結局、出所不明の情報は正確だった。メディアは無事に入れたものの、この不透明な情報の出方や仕切りの悪さに少なくない記者が苛立ちを隠さずにいた。

また入り口でもトラブルが発生した。入るためには厳重な安全検査が実施され、事前に通達がなかった携帯の充電バッテリーの持ち込み禁止にひっかかり、長い列を並んでやっと入り口まで来たにも関わらずバッテリーを外に置いてくるよう指示を受ける記者が何人も出たため、入り口付近の混雑は中々解消されることはなかった。

記者らは議場に到着後、すぐにカメラの場所取りを行った
記者らは議場に到着後、すぐにカメラの場所取りを行った

午前9時となり、ようやく始まった開会式。人民解放軍の音楽隊による「歓迎行進曲」に合わせて習近平国家主席が登場した。ゆっくりとした足取りで自分の席に着き、全員が揃ったあと開幕を伝えるベルが議場に響き渡った。

人民解放軍の音楽隊
人民解放軍の音楽隊
政府活動報告を行う李強首相(3月5日)
政府活動報告を行う李強首相(3月5日)

その後、李強首相による政府活動報告が始まった。李首相は50分を超える報告の中で今年の経済成長率の目標を5%前後にすると表明したほか、不動産企業への資金繰りや若者の就業促進政策、そして台湾問題などについての報告を行った。

李首相が壇上で報告をしていた際、ほかの出席者は事前に用意された資料に目を向けたり、ペンで書き込みをしたりする様子が見られたが、習主席は資料に目を向けることはほとんどなく終始硬い表情で前を向いていた。

習近平国家主席(3月5日)
習近平国家主席(3月5日)

李首相は報告の最後で「中国式現代化をもって強国づくりと民族復興の偉業を全面的に推進するためにたゆまず奮闘していこう!」と締めくくり席に戻った。その際、習主席に声を掛けられると笑顔になった。

政府活動報告を終えたあと習主席に声を掛けられ笑顔になる李首相(3月5日)
政府活動報告を終えたあと習主席に声を掛けられ笑顔になる李首相(3月5日)

世界と中国の意思疎通の断絶

政府活動報告を終えた李首相だが、本来であればもう1つ大きな仕事があった。それは全人代閉幕後に国内外のメディアを前にして行う記者会見だ。

しかし、この重要な記者会見は明確な説明がないまま中止となり、さらには特別な事情がなければ今後数年も実施しないことも決まった。首相自らの言葉で国内外のメディアに対して答える場が無くなったことに対して「世界と中国の意思疎通の断絶で、国内外に与える影響は大きい」(日中外交筋の関係者)と指摘する声もあり、中国政治の不透明性はさらに高まったと言える。

中国で取材をしていると予想外のことが起き、取材活動が困難になることは珍しくはない。これは中国にやってきた多くの外国メディアが経験していることだ。

今回の全人代取材における一連の“ドタバタ劇”や首相会見の中止も、私たち外国メディアにとってはある意味「想定内」とも言えるが、中国に出資を検討している海外企業などにとっては、中国が益々不可解な国に見えるだろう。

世界が注目する全人代の開幕式の取材において、なぜこのような対応になったのか。それはこれまでゼロコロナ政策を理由に取材の範囲を狭めてきた中で、急に全ての外国記者にまで自由を認めたため対応しきれなくなったのか、それとも全人代を世界にアピールしたいと考える一方で、厳しいチェックは従来のまま緩められなかったことで運営に支障をきたしたのか、いくつか複合的な要因があるかもしれない。ただ、厳しい検査やチェックをする一方で、仕切りが杜撰であることは残念ながら“中国あるある”の一つなのだ。

習主席のさらなる権力の集中が印象付けられた全人代の開幕式。一方で、政権の閉鎖性に注目が集まる結果となり「内向き」な政権運営への懸念は益々強まっている。

(取材・執筆:FNN北京支局 河村忠徳)

河村忠徳
河村忠徳

「現場に誠実に」「仕事は楽しく」が信条。
FNN北京支局特派員。これまでに警視庁や埼玉県警、宮内庁と主に社会部担当の記者を経験。
また報道番組や情報制作局でディレクター業務も担当し、日本全国だけでなくアジア地域でも取材を行う。