食の雑誌「dancyu」の編集部長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは「はまぐりバタヤキ」。

120年の歴史を紡ぐ老舗洋食店「ぽん多本家」を訪れ、祖父から父、そして息子へと5代も受け継ぐ店と秘伝のレシピを紹介する。 

パンダでおなじみの街・御徒町にある老舗洋食店

駅の南口を出ると広場で2頭のパンダがお出迎えしてくれる「御徒町駅」。

しかし、地名としては存在していない。

実は、1964年の東京オリンピックの際、「外国の方にもわかりやすい地名にしよう」と町の名前が再編された。

そのとき「御徒町」は「東上野」や「台東」という町名に変わったそう。

天皇の料理番のコンセプトは「白飯に合う洋食店」

その御徒町にあるのが、威厳を感じる重厚感のある入口が特徴的で、120年もの歴史を紡ぐ洋食店「ぽん多本家」。

創業は1905年と、都内屈指の老舗洋食店だ。

洋食店「ぽん多本家」
洋食店「ぽん多本家」
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厨房を仕切るのは、4代目店主の島田良彦さん。

その祖父で初代の信二郎さんは、宮内庁で料理人をつとめた方で、「白飯に合う洋食」をコンセプトに「ぽん多本家」を開店した。

創業当時から提供する「カツレツ」
創業当時から提供する「カツレツ」

その頃から提供している「カツレツ」いわゆるトンカツは、自家製のラードでじっくり揚げ、肉の旨味をぎゅっと閉じ込めた逸品だ。

上野の“トンカツ御三家”とも呼ばれ、店の代名詞的なメニューになっている。

時間をかけてじっくり作り上げる「タンシチュー」
時間をかけてじっくり作り上げる「タンシチュー」

他にも、3週間を費やす濃厚なソースをたっぷりかけたホロリとほどける肉感の「タンシチュー」に、20センチほどもある、天然の車海老を使ったフライなど、まさに「ハレの日のごちそう」を堪能することができる。

店を継がせようと息子へ課した父からの心づもり

代々続く洋食の老舗を受け継いだ4代目。

修業時代、課せられた父からの試練には、ある心づもりがあった。そして今、長男が5代目としてもっか修業中だ。

まわりの環境もあり、幼い頃からお店を継ぐことを決めていた良彦さん。

初代の信二郎さんは宮内庁で料理人をつとめた
初代の信二郎さんは宮内庁で料理人をつとめた

高校生になり、料理の道に入る日も近づいたある日、父親に相談。

良彦さんが「店を継ぐ前にやっておいた方がいい事は何かある?」と聞いてみると、父の忠彦さんはこう言ったという。

「包丁なんて持たなくていいから皿洗いだけはやれ。皿洗いは覚えておいて損はない!」

そう言われた良彦さんは「それでお店で皿洗いをしていたら『山の上ホテル』の先代がお見えいただいて家に来いって言われて…」と、名門「山の上ホテル」で3年間修業した。

そして、21歳でぽん多に戻り、父親の元で働きはじめるが、父親の行動に困惑したと振り返る。

「うちの親父は店が埋まっていくと『あとやっとけ!』と居なくなっちゃう。お客さんいらっしゃるんですよ、もう汗びっしょりですよ」

父・忠彦さんとしては「俺もいつまでも居ない。明日死んだら明後日からお前なんだから!」といった考えがあったそうだ。

それを受けた良彦さんは「今息子と厨房に立ってまして、同じような気持ちで接しています」と語る。

そこで5代目・秀彦さんにも話を聞くと「小さいころから一緒に住んでいるので、良く料理の話をしていて分からないことあったら聞いている」と話した。

絶品「バタヤキ」に植野さんは…

本日植野さんが学ばせてもらうメニューは、「はまぐりバタヤキ」。

使うのは厳選された極上の天然はまぐりだ。

「はまぐりバタヤキ」
「はまぐりバタヤキ」

バタヤキとは、いわゆるムニエルのことで、小麦粉をまぶし、バターを溶かしたフライパンで丁寧に火を入れたら、香ばしい香りの中に贅沢な旨味が広がる「はまぐりバタヤキ」になる。

「はまぐりバタヤキ」を食べた植野さんは「生きてて良かった」とうなる
「はまぐりバタヤキ」を食べた植野さんは「生きてて良かった」とうなる

一口食べた植野さんは「しっかり火は入っているがはまぐりのうまさが口に広がる。感動と官能がある」と感嘆した。 

ぽん多本家「はまぐりバタヤキ」のレシピを紹介する。