2024年2月17日、国産の新型主力ロケット「H3」2号機が打ち上げに成功した。開発着手から実に10年。そこには度重なるトラブルにも決して諦めることなく成功に向け進んでいった技術者の姿があった。

より安く、より使いやすいロケットを

「H2Aより低コストで運用性の高いロケットを」というコンセプトのもと、H3ロケットの開発が始まったのは2014年だった。

この記事の画像(10枚)

開発を任されたのは、JAXA H3プロジェクトチーム・岡田匡史プロジェクトマネージャ。「大きく言うと“コスト半減”に持っていきながら、その運用性を上げていくというのは、ちょっと尋常ではない目標に思えた」と振り返る。

世界の衛星打ち上げ市場は年々拡大している。1年間に打ち上げられた衛星は、この10年で約11倍となっていて、日本の国際競争力を高めるため“より安く、より使いやすいロケット”が期待された。

しかし、開発は困難の連続だった。

延期に次ぐ延期の末「失敗」

第1段ロケットの新型エンジン「LE-9」の開発ではトラブルが相次ぎ、計画は延期に次ぐ延期。初めての打ち上げは計画から2年も遅れた。

「H3」初号機
「H3」初号機

そして、2023年3月7日に打ち上げられたH3初号機は、まばゆい光を放ち空へ突き進み、開発が難航した新型エンジン「LE-9」は完璧なパフォーマンスを見せた。

しかしその直後、種子島宇宙センターに「ミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送出しました」とのアナウンスが流れ、空気は一変した。

第2段エンジンに着火せず、打ち上げは失敗。岡田さんは「一番してはいけないことをしてしまった。失敗の直後はぼう然としていたところもあるが、日にちがたつにつれてぼう然とした部分がなくなると、より自分の起こした結果を重く感じ、起きるたびにしんどかった」と当時の苦しい胸の内を語った。

H3初号機の第2段エンジンは、高い成功率を誇っていたH2Aロケットとほぼ同じ設計だった。着火しなかった原因を明らかにするため、無数の飛行データから全ての可能性を検討する過酷な日々が始まった。

岡田さんは「少しも出口が見えないというか、前には進んでいるが、出口に向かって進んでいるのかわからないという状況という時期が長かったので、そこは厳しかったですね」と振り返り、さらにこう続けた。

岡田匡史プロジェクトマネージャ:
生身の人間ですので、耐えきれなくなるような面もありますが、そこだけを考えてしまうと持たないし、良い結果が生まれない。とにかく、宇宙の未来に向かって少しずつ進まなければとの思いに、なるべく切り替えるようにしました

ようやく産声を上げた「H3」

岡田さんには、国の一大プロジェクトという大きなプレッシャーがかかっていた。しかしそれでも負けなかった。失敗から半年後には考えられる原因を3つに絞り込み、その全てに対策をとる形で再挑戦が決まった。

「H3」2号機
「H3」2号機

そして、2024年2月17日午前9時22分55秒、H3ロケット2号機が打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから約5分後、課題だった第2段エンジンに予定通り着火した。

ミッション成功時の管制室
ミッション成功時の管制室

そして打ち上げから約16分後、第2段エンジンは計画通りに燃焼を停止し、超小型衛星1機を分離した。予定通りの軌道に入るという今回最大のミッションは見事成功し、管制室にいた岡田らは抱き合って喜びを分かちあった。

「H3」2号機 打ち上げ後の記者会見
「H3」2号機 打ち上げ後の記者会見

岡田匡史プロジェクトマネージャ:
皆さん本当にお待たせいたしました。ようやくH3が『おぎゃー』と産声を上げることができました。ものすごく重い肩の荷が下りたような感じがします

今回の成功は、日本の宇宙開発の未来への大きな一歩となった。しかし、岡田さんは打ち上げ後の記者会見で「このH3ロケットは、まだ2回打ち上げを経験しただけ。製造して、運用して、打ち上げるという全体の流れが、まだちゃんとつくれている訳ではない。これをうまくこなしていき、H3を宇宙の軌道というより事業の軌道に乗せていくことが重要」と気を引き締めた。

「H3」2号機
「H3」2号機

H3ロケットはこれから何度も打ち上げられ、運用性が高まることでコストが抑えられていく。

競争が激化する世界の宇宙ビジネス市場で日本の存在感を示すことができるのか。本当の挑戦はここから始まる。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
鹿児島テレビ

鹿児島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。