約25年にわたり日本の主力ロケットとして活躍したH2Aロケットの最終50号機が、6月29日未明に鹿児島・種子島宇宙センターから打ち上げられた。県本土からもその光が確認され、多くの人々が夜空を見上げる光景が各地で見られた。日本の宇宙開発を支えてきたH2Aロケットの感動的なラストフライトを振り返る。

全国から多くのファンが種子島へ

種子島に集まったロケットファン
種子島に集まったロケットファン
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「ワクワクしてる」「この格好で来ました」。打ち上げ前日の28日、種子島・西之表港には全国から多くのロケットファンが集まった。朝5時に起きて会場に向かったという人々も。ファンたちの期待が高まる中、29日午前10時半、種子島宇宙センターのロケット発射場にH2Aロケット50号機が姿を現した。

最終号機には特別なH2Aロゴが貼られていた。約2000件もの応援メッセージが記されているという。打ち上げを見守る人々の思いが、ロケットとともに宇宙へと旅立つ瞬間だった。

機体に貼られたH2Aロゴ
機体に貼られたH2Aロゴ
約2000件の応援メッセージ
約2000件の応援メッセージ

約25年の歴史 失敗わずか1回 世界最高水準の打ち上げ成功率

2001年の初号機打ち上げから約25年。H2Aロケットは日本の宇宙開発史上初めて2桁の打ち上げ数を記録したロケットとなった。これまでの打ち上げで失敗はわずか1回という、世界に誇る約98%の成功率を残してきた。

「全く思ってなかったですね。自分をここまで育ててくれた親か先生のような存在」と語るのは、初号機から全ての打ち上げに携わってきたJAXA宇宙輸送技術部門技術統括の藤田猛さん(65)。「50号機で有終の美を飾って、成功して終わってもらえるものだと信じています」と、最後の打ち上げへの思いを語った。

鹿児島県本土からも見えた夜空の光跡

そして6月29日午前1時33分。打ち上げの時間がやってきた。ロケットから放たれた眩しい光は種子島を照らし、その光跡は県本土からも確認できた。まるで流れ星のように夜空を突き進むロケットの姿は、多くの人々によって写真に収められた。

夜空を彩るH2Aロケット
夜空を彩るH2Aロケット
ロケットの光跡は県本土でも確認できた
ロケットの光跡は県本土でも確認できた

初号機から全ての打ち上げを現地で撮影してきたという地元・南種子町で写真館を営む京極義一さんは「久々の夜(の打ち上げ)だったので結構感動しましたね。ちゃんと上がってくれた」と、最後の打ち上げに感慨深げ。

打ち上げから約16分後、ロケットは温室効果ガス・水循環観測衛星「いぶきGW(GOSAT-GW)」を予定の軌道に投入、打ち上げは成功した。「最後のH2Aを見られてうれしかったです」と、現場で見守った子どもの声も聞かれた。

京極さんが撮影した最後の打ち上げ写真
京極さんが撮影した最後の打ち上げ写真

技術者たちの25年間の思い

「会社生活のほとんどをこのH2Aロケットに費やしてきたので、『ホッとした』の一言。『無事に分離してくれた』という...その一言です」と、H2Aロケット打ち上げ執行責任者を務めた三菱重工の鈴木啓司さんは、成功の報告の場で安堵の表情で語った。

三菱重工 防衛・宇宙セグメント 宇宙事業部長の五十嵐巖さんは、「ずっと成功を継続することの難しさ、そのために色々なマネージング、技術や人、そういうものを積み重ねて初めて継続した成功があるということを学んだ」と、これまでの歩みを振り返った。

H2Aロケットが四半世紀の歴史の中で積み上げてきた技術と高い信頼性、そして技術者たちの熱い思いは、後継機となるH3ロケットへと受け継がれて、日本の宇宙への挑戦は、新しい時代に突入する。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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