鹿児島県には、内之浦と種子島の2カ所のロケット発射場があり、50年以上にわたり日本の宇宙開発の最先端を担ってきた。

鹿児島は、「日本で最も宇宙に近い場所」といっても過言ではないのではないか。しかし、そもそもなぜ鹿児島にロケット基地なのか?新型のロケット「H3」の打ち上げが迫る今、鹿児島とロケットの歩みをたどる。

日本初 人工衛星打ち上げは内之浦から

2022年11月7日、種子島宇宙センター。
新型ロケット「H3」の機体を実際に組み立てエンジンの燃焼試験が行われた。本番さながらの最終試験に関係者も手応えを感じている。

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JAXA H3プロジェクトチーム・岡田匡史プロジェクトマネージャ:
予定通りエンジンが停止したとき拍手が湧き起こりました。この試験で意図通りの結果が出れば、次にエンジンに着火するのは打ち上げのときです

種子島と内之浦。鹿児島は2つの発射場を持ち、50年以上にわたりロケット打ち上げを見届けてきた。当初、ロケットの発射実験は、日本海に面した秋田県などで行われていたが「日本ロケット開発の父」と呼ばれる東京大学の糸川英夫博士は、太平洋に開けた新たな発射場を探していた。

そんな糸川博士の目にとまったのが大隅半島にある内之浦だった。1970年2月、内之浦から日本初となる人工衛星「おおすみ」が打ち上げられ、その成功に町が沸いた。

かつて集落が存在…種子島宇宙センターの「大崎射場」

一方、国もロケット発射場建設の計画を進めていた。衛星を軌道に投入するには赤道に近い方が有利などの理由で、白羽の矢が立ったのが種子島。宇宙開発事業団(当時)のロケット発射場となった。

現在、種子島宇宙センターでロケットが打ち上げられている場所は「大崎射場」と呼ばれる。ここにはもともと13世帯、約50人が暮らす集落があった。

柳田博文さん:
ロケットを格納する建物の先に丸いタンクが見えると思うんですけど、それからちょっと下りたところに自分たちの家があったんです

柳田博文さん
柳田博文さん

大崎集落で暮らしていた柳田博文さんは当時中学1年生。そのころの生活をこう振り返る。

柳田博文さん:
うちの親父は漁師だったので、イセエビを捕りに行ったりしていた

のどかな集落に持ち上がったロケット発射場の建設。約1年にわたる話し合いの末、大崎集落の住民は故郷を離れる決断をした。

柳田博文さん:
島を離れる人を空港まで見送りに行って「元気でな!」と叫んで

打ち上げ失敗で騒然…JAXA発足から2カ月足らず

その後、2つの発射場から打ち上げられてきた日本のロケットは、めざましい発展を遂げる。そして2001年。種子島から打ち上げられたのが現在の国産主力ロケット、H2Aの初号機だ。

打ち上げは成功し、これで「日本も宇宙ビジネスに本格参入できる」。そう思われていたが、2年後の2003年11月。曇り空の中、打ち上げられたH2Aロケット6号機は、打ち上げから十数秒で雲の中に消えた。

誰もが成功を信じて疑わなかったが、それから約11分後、種子島宇宙センターに、ロケットが指令破壊されたとのアナウンスが流れ、プレスルームは騒然となった。

H2Aロケット6号機打ち上げ失敗。宇宙開発事業団(種子島)と、宇宙科学研究所(内之浦)などが統合し、現在のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が発足して2カ月足らず。

重苦しい雰囲気に包まれた会見で、当時の理事長は「心からお詫び申し上げる」と述べるところを「心から御礼…」と言いかけるなど、動揺を隠せず、当時の文科省・宇宙開発委員長は「これから死に物狂いではい上がる努力をしたい」と沈痛な面持ちで述べた。

「日本のロケット開発は失墜した」。世間からの風当たりは強まった。しかし技術者たちは諦めなかった。

問題点を改善したH2Aロケットは順調に打ち上げを重ね、2021年12月まで39機連続で打ち上げに成功。成功率約97.8%と、世界最高水準を誇っている。

大崎集落で暮らしていた柳田さんは今、種子島宇宙センターに勤め、このロケットの打ち上げを近くで見守っている。

柳田博文さん:
こうやって(故郷が)世界に誇る宇宙センターになったので最高ですよ

日本の未来担う 新たな国産主力ロケット「H3」

JAXAが今進めているのは、H2Aに代わる新たな国産主力ロケット、H3の開発だ。H2Aよりも低コストでより大きな衛星を打ち上げられるため、日本の宇宙ビジネスの競争力を高めることが期待されている。

このH3ロケットは当初、2020年度の打ち上げを目指していた。しかし、エンジン燃焼試験で不具合が見つかり、打ち上げが2度延期に。さらに10月、内之浦では小型ロケット、イプシロン6号機が打ち上げに失敗した。機体の一部にH3と同じ部品が使われていたことから、H3も部品の交換を余儀なくされている。

鹿児島に2つのロケット発射場ができて50年以上。日本のロケット開発は全てが順風満帆だったわけではない。しかし、これまでもそうだったように、失敗のたびに学び、未来は開けていくはずだ。

JAXA H3プロジェクトチーム・岡田匡史プロジェクトマネージャ:
山頂まで、あと一歩のところまで来たと思います。その一歩がすごく重要なので、みんなで力を合わせて打ち上げ本番に臨みたいと思います

元大崎集落住民・柳田博文さん:
楽しみですね。2つエンジンがついて、ブワーッと上がっていくのが。ちゃんと上がっていけよと

日本の宇宙開発の未来を担うH3ロケットが、宇宙へと旅立つ時期が近づいている。

(鹿児島テレビ)