戦後、アメリカ軍の統治下にあった鹿児島・奄美群島が日本に復帰して70年となる2023年。困窮した奄美の人々の食を支えたのは、南国に自生する植物「ソテツ」だった。当時を知る人に話を聞いた。

人々を救った“ソテツ”の毒抜き方法

奄美大島の至るところで目にするヤシの木に似た植物、「ソテツ」。

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九州南部より南に自生し、奄美大島の北部、鹿児島・龍郷町の群生地では圧巻の光景が広がる。

ソテツは秋から冬にかけて赤い実をつけるが、「サイカシン」という毒を含んでいて、口にすると呼吸困難になり、死に至ることもある。しかし島民は当時、手探りで毒抜きを行って空腹を満たし、命をつないだ。米軍統治下で、本土からの物資が届かなくなった奄美の人たちは食べ物のない、貧しい生活を強いられた。

当時の暮らしぶりを伝えるフィルムには、茶わんに入った白いものをすする映像が記録されていて、「ソテツを常食としていた」とのナレーションが添えられている。ソテツをおかゆにしたものが食されていたのだ。

和田昭穂さん(91)
和田昭穂さん(91)

鹿児島・奄美市笠利町の和田昭穂さん(91)は、「ソテツがなかったら、ご飯はない」と語った。和田さんにソテツの毒をどのように取り除いていたのか教えてもらった。

中の白い実の毒を抜く
中の白い実の毒を抜く

奄美では「ナリ」と呼ばれている、ソテツの赤い実。「ナリ」に当てた包丁を金づちでたたいて半分に割り、取り出した白い実の毒を抜く。その方法とは…。

和田昭穂さん:
川の水に1週間ほどつける

水にさらす期間に根拠はあったのだろうか。

和田昭穂さん:
抜けたか抜けないかわからない。わからないけれども、抜けただろうということで。昔はみんな勘ですよ

毒が抜けたかどうかもわからないソテツを食べて、当時の人たちは統治下のひもじさをしのいでいた。

ソテツをおかゆに 当時の手法を再現

奄美市名瀬で郷土料理店を営む恵上イサ子さん(73)は、昔の料理の研究もしている。今回、ソテツをおかゆにする当時の手法を再現してもらった。

毒抜きしたソテツの粉を水に溶かし、さらに何度も上澄み液を捨てる。この工程を5~6回繰り返す。恵上さんは、「毒をもっともっと消そうという人たちの知恵だったのかな」と推測する。

その作業が終わると粉を溶かした白い液体を沸騰したお湯に注ぐ。これがだんだん固くなっていくが、ナリが生なので火をきちんと通すということが大切。

20~30分ほど煮詰めとろみがついたらようやく「ナリ」のおかゆ、「ナリガイ」ができあがる。恵上さんは「昔は嫌だったが今は懐かしい味ですよ」と語った。

毒抜きを再現してくれた和田さんは、当時20歳前後の食べ盛りだったが、ナリガイは決しておいしいものではなかったと振り返る。昔は乾燥する時間が長く、しかも湿気の多い土地だから黒いカビが生える。ナリガイと言えば「臭いがあるもの」だった。

「ソテツに恩返を」粉末にし商品化へ

和田さんは県外で教師として働いたあと、奄美大島に戻ってきた。2009年に工房を立ち上げ、ソテツの商品化を始めている。

和田昭穂さん:
ナリガイは貧しいという気分が先にくる。それで臭いがする。だったら、私は今度作る時に、臭いをまず取ろうと。ソテツの本当の味はこんなものだよというのを知らせたい

その思いで、誕生したのが「ナリ粉」。毒抜きしたソテツの実を乾燥機で乾かして臭いを抑え、粉末にしたもの。奄美大島のスーパーなどで市販され、片栗粉のような用途でも使われている。

和田昭穂さん:
貧しい思いをしてソテツを食べたから「ソテツに恩返しをしよう」と。私だけだろうと思うけど。「(ソテツを)残しておきたいな」と思いますね

アメリカの統治下で人々の命をつないだソテツ。日本に復帰して70年がたつ現在も、あのときの記憶を奄美に伝えている。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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