戦後アメリカ軍の統治下にあった鹿児島・奄美群島が日本に復帰して2023年12月で70年。現存する写真や映像の多くは白黒だが、アメリカの大学で見つかったカラー写真が初めて公開される。色鮮やかな写真は当時の奄美の様子を雄弁に伝えている。

貴重なカラー写真がアメリカで見つかる

奄美がアメリカ軍の統治下だった1951年9月から約半年間に撮影されたカラー写真。

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正月にこまを回して遊ぶ少年たちや、神社の祭りで無病息災を願い踊る女。島の特産サトウキビを売る八百屋などが写っている。

撮影したのはアメリカの文化人類学者、ダグラス・ハーリングだ。
2019年、ハーリングがいたアメリカの大学で、約1,000枚のカラー写真が見つかった。

見つけたのは奄美大島で大島紬の研究をしている、イギリス、オックスフォード大学の研究員シャーロット・リントンさん。1,000枚のうち、600枚の写真の複写を2023年、奄美に持ち帰った。リントンさんは「1950年代に撮られた記録としては国際的に重要」と評価する。

70年前と今の奄美大島

写真が撮影されたのは、奄美大島の北部や現在の鹿児島県奄美市名瀬付近。

海をバックに男性3人が写る写真は、現在の龍郷町役場近くで撮影されたとみられる。町教育委員会の松村智行学芸員に案内してもらった。

教育委員会の松村智行学芸員
教育委員会の松村智行学芸員

現在は国道やガードレールが整備されているが、写真と風景を重ねると、後方の山並みは現在も同じような形をしているのがわかる。松村さんは「白黒と違ってカラーは情報量が全然違うし、拡大すればいろいろな所の様子がわかる」と語る。

缶詰や飲み物が販売されている店舗の写真。心当たりがあるという男性に話を聞くことができた。復帰運動の伝承活動をしている楠田哲久さん、76歳。

写真の場所には現在ビルが建ち、飲食店が入っている。楠田さんが着目したのは「大黒屋」という商店の名前だった。楠田さんは飲食店の店主に「復帰前に撮影されたカラー写真なんですよ」と言って写真を見せた。店主は思わず「すごい…」と息を飲んだ。

写真右:楠田哲久さん
写真右:楠田哲久さん

楠田さんが「(写真に)大黒屋とあるから、ここだと絶対に思っておじゃました」と話すと店主は「以前、(この建物が)大黒屋ビルという名前だったと聞いたことがあります」と答えた。

写真が撮られたのは、楠田さんが4歳か5歳の頃で、記憶は曖昧だが、当時復帰運動に関わっていた父親と、旅館を経営していた祖父の話からこんなことを推測した。

楠田哲久さん:
米軍の統治下で制限された時代に、たくさん商品が並んでいることが珍しい。だけど高いから普通の人は買えなかったと思います。「3倍値上げ」とか米軍が言ってきたりして

奄美の人々のたくましさが伝わる

モノクロの資料に比べ、人々の表情や風景がより鮮明に伝わってくるアメリカ統治下の奄美のカラー写真。実はカラーの映像も残されていた。

当時の大島紬の泥染めや機織りなどの製造工程がカラーで記録されている。これらの資料を見つけたリントンさんは、当時の人々の表情に注目していた。

オックスフォード大学社会人類学博士研究員・シャーロット・リントンさん:
米軍統治下の70年前はすごく貧しかったが、写真に写る人たちはとても幸せそうで健康そうに見える。カラーの資料に触れることは「私たちが70年前に得たもの、そして今、失ったもの」を考えるきっかけになる

日本復帰70年の節目に明らかになった貴重なカラーの資料。そこにはアメリカ軍統治下で、困窮しながらも復帰運動に一丸となった奄美の人々のたくましさが映し出されていた。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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