東日本大震災で最愛の家族を亡くした後、支え合って14年余りを歩み、今それぞれに新たな挑戦を始めている父と娘がいる。岩手県陸前高田市で食肉加工会社を営む高橋一成さん(58)と娘の伶奈さん(24)。“大切な人を奪われた”強い喪失感と向き合いながら、家族の絆を大切に新しい道を切り開いていく姿を取材した。

家族で築く新たな事業

陸前高田市に5年前設立された食肉加工会社「K-Foods」。経営者の高橋一成さん(58)は若いころハムを作る会社に勤務した経験を活かし、この会社を立ち上げた。設立の最大の理由は「家族と一緒に何かを築きたい」という思いだった。

食肉加工会社「K-Foods」経営者・高橋一成さん(58)
食肉加工会社「K-Foods」経営者・高橋一成さん(58)
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一成さんは「家に戻って同じ共通の話題で相談し合えるのがコミュニケーションのきっかけにもなっている」と語る。

5人の子どものうち2人がこの会社で働いており、末っ子の伶奈さん(24)は通信販売用のサイト制作やラベルのデザインなどを担当している。

高橋一成さんの娘・伶奈さん(24)
高橋一成さんの娘・伶奈さん(24)

「お父さんがずっとやりたかったこと、私が少しでも応援できたら」と伶奈さんは父の夢を支える思いを口にする。

震災が奪った最愛の人

今、力を合わせて食肉加工の仕事に取り組む父と娘だが、2011年の東日本大震災で大切な人を失っていた。

一成さんの妻で伶奈さんの母である貴子さん(当時46)が津波の犠牲となったのだ。

津波の犠牲となった貴子さん(当時46)
津波の犠牲となった貴子さん(当時46)

一成さんは「警察から電話があって、指輪の刻印が一致する遺体が見つかったと…」と当時を振り返る。

貴子さんは家族との時間を何よりも大切にする人だった。
「弁当作って山に行ってご飯食べたり、とにかく家族みんなでどこか出かけたりということが好きだった」と一成さんは貴子さんの思い出を語る。

閉ざされた心を開くまで

突然の別れに家族は深い悲しみに暮れた。
震災当時小学3年生だった伶奈さんは感情を表に出せなくなり、心のバランスを崩していった。

貴子さん生前の家族写真
貴子さん生前の家族写真

伶奈さんは「周りからずっと言われ続ける、『お母さんが亡くなって悲しいでしょ』って。私たちの時間の何を分かって悲しいと言っているんだと」と当時の複雑な思いを語った。

高橋伶奈さん(24)
高橋伶奈さん(24)

感情を閉じ込めてしまった伶奈さんは中学生になったころに不登校となった。

そんな娘を一成さんは無理に学校に戻そうとはせず、地元の海や山など豊かな自然の中に少しずつ連れ出し、共に時間を過ごすようにした。

伶奈さんを自然の中に少しずつ連れ出した一成さん
伶奈さんを自然の中に少しずつ連れ出した一成さん

「やりたいこと・好きなことを少しでも学べる機会があったら、自分らしく伶奈がいられるんじゃないかと」と一成さんは考えていた。

変わらぬ自然が癒した心の傷

親子にとって特別な場所がある。津波で被災した後、2022年に再建された陸前高田市立博物館だ。ここには、もともと生き物が好きだった一成さんが、震災後、伶奈さんと共に自然の中で見つけた昆虫や貝の標本が展示されている。

陸前高田市立博物館には2人が見つけた昆虫や貝の標本が展示されている
陸前高田市立博物館には2人が見つけた昆虫や貝の標本が展示されている

「震災はあったとはいえ、山に行けば生き物がいて、海に行けばやっぱり変わらず魚とか貝とか生き物がいる」と一成さんは語る。

震災で失ったものではなく、震災後も"変わらずにあるもの"に目を向けてほしいという一成さんの思いは、伶奈さんに変化をもたらした。

笑顔を取り戻した伶奈さん
笑顔を取り戻した伶奈さん

伶奈さんは「動きたくても動けないみたいな状況がある中で色々なことを教えてくれて、やっと私も自然な状態になれた」と振り返る。

それぞれの新たな挑戦への一歩

伶奈さんの心に変化が現れる中で、一成さん自身も新たな一歩を踏み出した。震災から5年後、それまで勤めていた市役所を退職。2020年に食肉加工会社「K-Foods」を設立したのだ。

同社の商品のうち、大槌町の鹿肉を使ったジャーキーはふるさと納税のサイトが主催するコンクールで銀賞を受賞している。

伶奈さんは今、父の新たな夢を支える立場となっている。
「デザインももうちょっとこうした方が良いといった話をしていて、今まではお父さんに色々やってもらう立場だったのが対等に仕事ができている」と伶奈さんは語る。

一方、伶奈さんは仙台市の団体に所属し、心の傷を抱える子どもたちの相談に乗ったり、オンラインで勉強を教えたりする支援活動も始めた。

支援活動を始めた伶奈さん(2025年3月)
支援活動を始めた伶奈さん(2025年3月)

「震災当時も色々なボランティアの方たちが私たちを支えてくれた。私は同じ痛みを抱えている子どもたちに対して何か言えることがあるんじゃないかと」と自身の経験を生かした活動への思いを語る。

明るい未来への歩み

大切な家族を奪われた強い喪失感に向き合いながら絆を深めてきた親子は、今、明るい未来を見据えている。

「(家族で)助け合いながら生活が今後もできればいい」と伶奈さんは言う。

一成さんは「(妻は)応援してくれていると思う。最終的には家族全員が安心して暮らせる状況をつくることが大事。そこに向けて今は頑張りたい」と語った。

高橋一成さんと娘の伶奈さん
高橋一成さんと娘の伶奈さん

震災から15年目、一成さんと伶奈さん親子は今も亡くなった貴子さんを思いながら、一歩一歩前に進んでいる。

(岩手めんこいテレビ)

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